先月放送された『EIGHT-JAM』の

 

イエローモンキー特集の録画を見ました。

 

 

そこで、気になったのが、

 

約30年前のヒット曲『JAM』の歌詞。

 

 

終盤にの歌詞が秀逸と言って、

 

「テレビでは、海外の災害に、

 

日本人の被害者はいませんでした。」

 

というのが、不快だという歌詞。

 

 

この歌詞のせいなのか、

 

それよりも、10年ほど経ってだと記憶していますが、

 

この報道の仕方を、止めろ!

 

という声が、御突然、広まり、

 

その意見が、正しいとなった

 

世間の情勢を、

 

私は、違和感を持ってきました。

 

 

「何でも、あたるな!」と。

 

 

このことから、

 

これまで、あたり間にあったことに対して、

 

否定の声が、突然、正論とされ、

 

これまでおこなわれてきたことが、

 

駆逐されることが、増えた。

 

と、私は、不快に思っています。

 

 

この意見に、話を絞ってみます。

 

 

海外で、航空機事故などが発生した際、

 

「日本人の犠牲者はいません。」

 

と、聞けば、大抵の日本人は、

 

ホッとするんじゃないでしょうか?

 

 

私は、ホッとします。

 

 

でも、決して、日本人以外の人たちが、

 

犠牲になっているのを

 

「どうでもいい。」と、思うわけではありません。

 

 

では、これに対して、

 

日本人の安否を言うのは、

 

海外の人の命の軽視であり、

 

言うな!

 

と言う人は、

 

日本で、地震や水害などで、

 

避難所の報道になった際に、

 

海外からの人たちについて、

 

何も報じない、日本の報道について、

 

どう思っているのでしょうか?

 

 

私は、能登半島大地震についても、

 

海外から来られた人のことについて、

 

なぜ、報じないのか?

 

と、報道の度に、イライラしています。

 

 

また、他人の被害について、報道はしていますが、

 

他の動物や、植物などについては、

 

こうした人たちは、どうでもいいんでしょうか?

 

 

私は、気になります。

 

 

つまり、ニュースは、限られた短い時間で、

 

大多数の視聴者が気になることを

 

まず、報じているだけ。

 

だから、短い時間に

 

多くの情報を詰め込む番組では、

 

それで仕方がない。

 

と、私は思います、

 

 

でも、週に1度など、

 

ニュースを説明する番組では、

 

日本人だけでなく、

 

外国人のこと、

 

他の動物のこと。

 

土壌のことなど。

 

問題とすべき事柄を、伝えるべき。

 

 

それを、何でもかんでも、

 

「少数の人々のことを無視している。」

 

とか、騒ぐのは、

 

”いちゃもん”に、感じてしまい、

 

不快に思わせ、逆効果だと思うのです。

 

 

報じるテレビ側の報じ方に問題があり、

 

「こういう人への配慮も必要ですね。」

 

と、言わないからなのかもしれません。