陶芸家 市川寿山のブログ
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娘の

誕生日です。


嬉しかった。

とても美人です。



可愛く、美しく成長しました。


今も素敵ですよ。

孫、頑張りました。


白組の中にいました。














頑張ったね。

じいちゃん、嬉しかったよ。

ご招待、ありがとうございました。

思い出した

私よりもーつ年上のお方でした。美しいお方でした。

また、私寄りもーつ年上の女性社員は、多くの美人がいましたね。奇跡的に。基本的にコンビナートの多くは化学分野の第一次産業❗️、男男の塊です。本工1,500人、下請け工1,500人の男の3,000人の四日市工場でした。もうもうたる亜硫酸ガスと粉塵、ベンゼン臭、アンモニア臭、塩素ガス、硝酸ガスの漂うところです。空からは硫酸ミストが降ってきましたよ。しかっと、痛痒い!、またコートに穴が開く。 まあ、地獄ですね。

 四日市コンビナートは、工場員の士気の鼓舞の為に、美人女子事務員を雇っていました。早期寿き退社の為でもあります。研究室も分析室も女子社員を入れましたね。ここらは、組合の人事権の内です。ヤクザの私は頭からはねられました。

 思い出すと、入った私の責任です。




入社試験日を思い出しました。朝寝坊して、大遅刻、一人の遅刻者が近鉄塩浜駅にいました。彼は泣きそうで、「タクシーに乗ろう」と言って来ました。私は、「嫌だバスを待つ」と言うと、本当に泣きそうでした。正門に着くと、工場長の秘書さんがオロオロと待っていました。「走れ、入社試験の式典に、工場長が待っている。こんなのは前代未聞だ」と、ぶつぶつ言っていました。 同じバス🚌から降りた高校生は顔面蒼白でした。彼には悪いことをしました。工場専用バスの運行が主で、定期バスの運行は少ない事を後に知りました。多くは見送っていた工場行きの専用バスに乗っていたのです。私は伯父のおかげで入社はほぼ確定していました。しかし、この日から、私の就職人生はくるっていきました。仕方ないか❗️です。

 

 現場では20年ぶりの新人で皆様に可愛がっていただきました。すべての設備も巨大な物も珍しく、全てを吸収していきました。先輩は、レイテ沖海戦で沈められて飢餓戦場を戦った上司と、伯父と同じインパール戦線の生き残りの方々、満蒙開拓団のお方、伏見11連隊の伯父の同期兵のお方もいました。

 最初の教育係はの二人は同じ会社の硫酸タンカーの船員さんでした。そして、お一人はインパール戦線の生き残りです。いろいろな教育を受けて大変嬉しい日々でした。ぼろぼろの職場環境でしたが。ヤクザです。仕方ありません。楽しかったです。



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