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藤島住宅 岩原 賢太郎 の 営業日記

ゴールドの価格がアメリカで過去最高値を更新した。

というニュースを見ました。

他にも株やビットコイン、銀やプラチナ等

あらゆる資産額が世界で回復・上昇しているもようです。

株価と連動すると言われる不動産価格も

この不況下で一定の水準を保っています。

これはすでに資産バブルが始まっているのでは、という説があり、更なる資産額の上昇をもってバブルとするのか、いずれにせよ、それがバブルである以上、現段階では分からないのがその特徴であるようです。

そして、この現代資本主義経済が限界を迎えた時、すべての資産はバブルが弾けて一気に萎んでしまうというシナリオ。

これが本筋なのではないかと、説得力のあるYouTube動画を見て、思い至る今日この頃でございます。

 

「お金持ちは大変だなあ」と感じます。

有り余る資産をより安全なものに振り替え、振り分ける作業の果てに、金融システム崩壊による資産暴落への恐怖。

資産にまつわる愛憎劇はともかくとして、多くのお金を持つこと自体の苦労もあるのだなと、お金を多く持たない私にとって慰みに似た理解をここに示したいと存じます。

 

「私たちからもっと税金を取ってください」とアメリカの一部のお金持ちの方が、声を上げているということがありました。

私は直感的に「ああ、もう、もたないのだな。今のこの経済の仕組みは。」と感じました。(全然、的を得ていないかも知れませんが。)

一部のお金持ちがよりお金持ちになりやすい仕組み。

それは日本においては、明治維新という改革から始まったと見解されるようです。

私自身の実感としては、「金持ち父さん、貧乏父さん(2000年)」によってその実像が明らかにされたような気が致します。(ただし私の場合はこの本、やっと4~5年前に読みました。しかも、途中まで。この文章は全体そういうレベルのお話です。悪しからず。)

その本には「お金に働かせる」というような概念があったように記憶しております。

私はその当時、「なるほどなあ、そう言われれば当然そうだよなあ」などと、俄然他人事で感心しながら、実行気配の全くない様子で薄ら読みしていたのでございました。

しかしながらここにきて、「お金に働かせる」という概念こそが、今の「バブル経済と実態経済の乖離」を生んだのではないかと、世間では当たり前の常識であろうことを理解すると同時に、今現実の世の中が、経済が、大きく転換期を迎えているその波動を、ビシビシと感じる毎日でございます。

具体的には、新型コロナウィルスによる景気低迷の一方で、膨れ上がる資産価格の上昇であり、新型コロナウィルスそのものによって一気に進む既存の社会体制の崩壊の様であります。

それは、現代社会が抱える矛盾のようなものであると私は理解します。

そしてその膨れ上がった矛盾が限界を迎えて弾けた時、今の社会経済体制が崩壊するのだという理論は正しいのではないかと推察いたします。

崩壊した先に何があるのか。

日本では戦後以来、我々が体験したことのないような不景気が訪れるのでしょうか。

そしてその苦しみの先には、ベーシックインカムというような夢の仕組みが現実化するのでしょうか。

不安と期待が入り混じるなか、私は私にできることを日々の生活の中で行っていくしかないのであります。

それは今、「自分自身が楽しく充実感を持ってできること」と「人の役に立てること」を同時にかなえるような行動の選択であるような気がしております。

偉い人の言う事に従うとか、誰がやるべきことであるとかでは考えず、自分がやりたいと思うことを自分がやれば良い。

もちろん、先の前提を守って。

出来れば、周りのみんなと協力して。

 

そんな漠然とした思いの中、私は今日もYouTube用にiPhoneで撮影した動画を編集し、「そろそろこの程度のレベルの動画では、誰も認めてくれないかもな。」と感じつつ、撮影した画像を見つめながら一人、アフレコ作業に没頭するのでした。

 

PS

「ビットコインの仕組みを発明したとされる「サトシ・ナカモト」とは一体どのような人物であるか」という話。

ミステリーな感じがしてワクワクしたことを覚えております。

もしかするとビットコインとは、新しい金融システムの構築を念頭においた実験だったのではないかという説があるのですが、当たっているとすれば、やはり・・・。