久々の公演から、あっという間に2週間経っているが、今回はなかなか言葉が出ないというか言葉に纏まってゆかない。前回の上演感想①にもダブるが、どちらかというと公演という場そのものについて思い考え探り直そうとしている感触が強い。
対人のみで開催させていただいたこともあり、生身のお客様あって初めて成り立つものを強く感じる会になったと振り返っている。それはとても重く大切なことなのだ。
コロナのせいで舞台が出来なかったあいだ、様々なオンラインイベントなどにも関わりながら、自作の上演方法を考え企画を温めた。ご縁もあり、さらに情勢的なタイミングも含め、ぎりぎりの線で対面開催することができたのが今回の公演。時期によっては開催を再び躊躇した可能性はやはりある。
見知らぬ人間同士が「集う」「会する」ということの非常な貴重さ、そのなかで生まれ得る一瞬にこそダンスが息吹く可能性がある、ということを深く意識しながらの公演だった。
上演芸術というものは、元より諸般の状況に恵まれて「やっと成立する」からこそ、その現場での全身体験から訪れる一回性と虚実被膜感を演者観客の双方が鋭く共有できるものなのかもしれない、そして、そのことによって、存在のことや社会のことにも、どこかで接してゆくのではないか、ということも思うのだった。
出演者の肉体も踊っているのだけれど、それだけでなく、その場に存在する全ての呼吸や感覚が踊り始めるといいのに、と、妄想することがある。ダンスの魅力はカラダの問題だけではなく、場の問題が大きいのではないかと、思えてならない。
たまたまコロナがそれらを認識させてくれたが、このような事態でなくとも、例えば戦争や紛争がいつ起こるかしれないし、大地震や大嵐などが来る可能性はいくらでもあるのだから、ある場所に生身の人が集まり何か創造的なエネルギーとか磁場を共に有することは、非常に幸運なことなのだと心しておかねば、と、あらためて思い知った。当たり前のようにコンサートに行ったり芝居や映画を見て育ったが、それは当たり前ではなく素敵な幸運の連続だったのだ、とも思えた。
会場でいただいたお立ち会いの方々の存在感や事後にいただいたアンケートやメールなどから、すごくエネルギーをいただき、次への背を押していただいている感が強い。
この先もまだ安定的な予定は立てることができないが、状況を見計っていつでも動けるように、作品はさっそく作り始めようとしている。作品が無ければ、集うことも出来ないから。
しばらく不規則な活動となるかもしれませんが、あらためて、ここから始めていきます。できる限りのことをして踊りを楽しんでいただく機会を作っていきたく思っています。
(当ブログでは、引き続き、作品についてなども書いていきたく思いますので、ぜひ、ご注目ください。)
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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト
上記公演の記録情報をご紹介しております。
※次回公演の決定まで、いましばらくお待ちください。