舞台公演でもレッスンでも、場が生まれる。

踊りは場とともに生じてゆく。

なぜダンスはライブが決定的なのか。この長い自粛期間のなか、一人稽古したあと、そのことに思いが行くことが多い。

公演では、みせる、ということだけでなく、同じ場所・同じ空間・同じ瞬間を、ともにする、ことが舞台のたび非常に大切に思えてならなかった。

レッスンでも、なにかしらの方法を情報的に教えるというのはあまりにも簡易で失礼と思い、そこに一緒に居る、ということから通じ合ってゆくものをこそ決定的に重要なものと考えてきた。

現場制。ということを大切にダンス活動をしてきた。それが根本的に否定された状態で、早春から過ごしすでに初夏となった。

おんらいん、なる方法にいつしか慣れたが、どうしても疲れがある。

ツナガル、という言葉があるが、ツナガルどころか、ぷつりと切れている距離を生理的に感じ、それを埋めるためにかなりのエネルギーを使うのだろうか。

本当はナマで話したかったね、とか、今度はホントに会いたいね、とか、そんな言葉をこの春に何回聞いたかなあと思う。

視聴覚だけで関わるとき、とても集中力が必要になり、気遣いやちょっとした言葉の配慮に大変な落差があらわになる。

そして、なんとなく一緒にいるうちに、いつのまにか仲良くなるというようなこととは異質の、独特の緊張感があるようにも感じてしまう。

あれは、そこに肌が介在してないゆえの独特の渇きが絡んでいるのではないかと僕は想像する。

いっしょにいるようでいっしょにいない。

触覚や嗅覚や味覚が欠落すると、関係そのものが(つまり世の中の根本が)変質してしまうのではないか。そんなことにも考えがおよぶ。

関係なるものについて、いまこの時期にこそ、もう少し考えてみたいと思う。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報 6月からの再開に向けて準備を始めております。コチラ

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

5月30〜31日に予定しておりました櫻井郁也の新作ダンス公演は、新型コロナ感染症の対策のため、本年10月3日〜4日に延期となっております。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。