映像作家の保山耕一さんが撮影された映像に感銘を受けた。
黄昏のころかしら、どっしりとした寺院のシルエットのむこうがわに、空と同化してしまうほどうっすらとした光の弦が、細く細く、見える。それは、生まれたての月、つまり、新月の翌日の月を撮影した映像なのだという。三日月になる前の生まれたての月で、日没を追うようにすぐ消えてゆくそうだ。気付かないほど淡い輝き。繊細な、じっと眼を凝らしていないと見ることが出来ない美しさ。なにかが現れて消える「一瞬」なるものの尊さ。月が、空が、時が、こんな表情をすることを、はじめて知った。それらはいつもそこにあるのに、、、。
身の回りにはうつくしいものが沢山あるはずなのに、その存在のどれほどを体験してきただろうか、と恥じた。遠い所や珍しい花に憧れる前に、見るべき光景や聴くべき音が暮らしとともにあることを、ほんとうに大切にしてきただろうか、と我にかえった。
美しいものに限らず、目の前にあるのに気がつかないことが、実にたくさんあるのではないだろうか。あるものをあるがままに見ているわけではないのだろう。視覚だけではないと思う。聴覚でも、皮膚感覚でも、果ては、心でも、僕らはあるものをあるがままに感じとっているわけではないのだろう。
日々のくらしのなかで、知らず知らず常識や先入観がたまりにたまって、色んなことを知った気になって、いつしか「自分なりの」ものごとの見方聴き方に支配されてしまう。ものごとを新しく体験できなくなってしまう。なにげなく過ごしていると、僕らの知覚は鈍くなる一方なのかもしれない。
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