8月15日は終戦の日と教わった。敗戦の日とも教わった。この日本なるクニが生まれ直そうとした日が、この日なのではないかと思うこともある。この夏の一日を、ふだんとすこし異なる長さで過ごしてしまう。ことしの8月15日はたまたま仕事も稽古もなかった。台風ということもあって数年ぶりに家に居ることができた。沢山のことを思い出し、思い直した。とりわけ、明治生まれの祖母の呟きが思い出された。
酒気を帯びるたび戦争のことばかり話していた祖母の声の記憶がある。大阪大空襲で焼け出された祖母は、亡くなる直前まで、しょっちゅう戦時中のこと、いや、世の中が急速に変わっていってしまったこと、とりわけ、なにひとつさからうことさえできなかったこと、あっというまにオソロシイことになってしまったこと、を呟き嘆きつづけていた。空襲の記憶を語る語りそのものがどうにも目眩が起きるほど恐ろしかったのだが、それを語る祖母は、この日本という国の当時の状態に対して、なのだろうか、あるいはもっと彼女に身近で具体的なことごとに対して、だったのだろうか、あるいはしばしば力がなかったなさすぎたと言ったことそのことに対して、だったのだろうか、底はかとない、やるせない怒りを心に隠していたように、いま僕は思えてならない。小さな声なのに、話しているとソコハカトナイ怒気を帯びてゆくのが常だった。誰だ。あんなふうにしたのは誰だ。そんな感じのことを言い出すと、たちが悪かった。それが日常にすぎて、きくのが苦でもあったが、今思えばそれこそ必要なことだった。
世間では戦争の記憶が風化するなどと言われていたが、祖母は老齢になればなるほど当時の記憶が蘇るらしく、年々その呟きは激しくなり、ときにおそろしいと思うこともあった。あの戦争を起こした奴は誰だ。そんな、怒気を帯びた語り口のなかに、もうひとこと、本当に戦争が終わったとはどうも思えないわ、と言ったことがあった。あのひとことが、いまも記憶に引っかかっている。あれはどういう意味だったのか、もっと訊いておけば良かったのにと、いまごろになって思う。
本当に戦争というものは、あのとき終わったのだろうか。実のところ、戦争を知らないはずの僕でさえ、ふと思うことがある。デモクラシーのなかで、大正の自由思想の時代から、なぜ急速にファシズムが生まれ、ごく短期間に、あの戦争に反対できない状況が、いかに準備されていったのか。ひとびとの心理が、どう変遷したのか。ひとびとは、ひとりひとり、でいることが、どのように可能だったのだろうか困難だったのだろうか。わからないことが沢山ある。不思議で恐ろしくもある。いま、いまの世が、当時の流れに重なる点も、あるのではないか。あるように、僕は感じる。いかがか。
stage info. 櫻井郁也ダンスソロ公演情報(公式webサイト)
11/9(土)〜10(日)新作公演決定
近日くわしいご案内の発表をいたします。
(からだづくり、コンテンポラリー、舞踏、オイリュトミー)
※8/25単発ワークショップあり(ご案内)