七夕のあくる日だったから、ひと月ちかく前になるが、六本木でひらかれている塩田千春さんの展覧会に行った。力をもらった。
この人の作品にはじめて出会ったのはドイツのアーヘンという街だった。僕は振付家の仲野恵子さんに誘われて、その街のルードヴィヒフォーラムという劇場で行なわれるダンス公演に出演していた。2000年のことだった。
アーヘンは世界遺産の絢爛たる教会や温泉がある華やかな街で、デュッセルドルフからも近い。すこし電車に乗るとベルギーだ。稽古や舞台設営を含めけっこうな日数をそこで過ごしたが、とても良い環境だった。ルードヴィヒフォーラムは、地下に僕らを受け入れてくれた劇場があって、地上は美術館になっていた。リハーサルの合間に劇場から抜け出して、美術館をのぞきにいった。
二階建ての家ほどもあるような巨大なドレスが高い天井から吊るされていて、そこから水が滴り落ちて雨のような音をたてていた。息をのんで立ち尽くした。しかし観たことも感想も誰にも言いたくない、と何故か思った。見るべきものが、いま目の前にある。と思った。しかし反面、見てはならないものを見ているのではないか、そんな気持ちも湧いた。ぐらついた。あの心の揺れを、とてもよくおぼえている。この作品の作者が塩田千春さんだった。
19年たって東京で観た今回の展示は、大規模なものだった。スケールの大きいインスタレーションが大半だったが、それらはいくら大きくても繊細で密度と熱があふれていて、血の通った作品だと思った。ひりひりした感覚におそわれた。心臓に近づいてゆくような錯覚を得た。
旅、という言葉がキャプションのどこかにあった。その言葉がこの人の作品と僕をすこし近づけてくれたように感じた。
旅行が好きなわけではない。だけど、いつも旅の途中に居る感覚がある。僕は18から東京に居る。この街が好きで長く暮してきた。だが、実は旅の途中なのかもしれない、そう思うことが正直たまにある。
ここはどこか、わたしはどこからここにきて、どこにいくのか。時折そんなことを思う。旅。わたしは旅をしている。
踊りをしてきたなかで、トルコの旋回舞踊セマーをほんのすこし学んだ時に、旅、という言葉を教えられた。そんな記憶もある。彼らによると、踊りの追求は魂の旅だというのだ。身体を音と運動に委ねきって行くところまで行けば、カラダはこの世この場に在ったままでも心は別世界への旅に出るという。不思議なことではないと思う。ココと彼方は僕らの身体で接している、僕はそう思う。
ダンスの練習をしているとき旅のような気分を体験することがある。普段とは別の感覚世界に居る気分である。塩田さんの作品の前にいるとなぜかその感じを思い出してしまう。理由はわからない。だが、おもえば、この人の作品から僕はとても大切な旅をもらっている。旅するなかで味わう切なさに限りなく近い感覚を、僕はこの人の美術からなぜか感じる。この日も感じた。
写真は同展にて撮影。
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stage info. 櫻井郁也ダンスソロ公演情報(公式webサイト)
11/9(土)〜10(日)新作公演決定
近日くわしいご案内の発表をいたします。
(からだづくり、コンテンポラリー、舞踏、オイリュトミー)
※8/25単発ワークショップあり(ご案内)