「僕はここにいる。
僕はあちら側にはいない。
ここにいる。
ここにいる。
ここにいる。
ここにいるのだ。
ここにいるのが僕だ。
ああ、
しかし、
どうして、
僕は僕にそれを叫ばねばならないのか。」
という、原民喜の鎮魂歌にある一文の、この部分の文字の一々が、なかなか網膜から消えない。文意から離れて、死者からの手紙のように、この文字の一々が、おそろしく、消えない。
長崎70年忌に献舞させていただいたときにも思ったが、原爆は過去のことではないのではないか。僕らは原爆という出来事から逃れることはできないのではないか。いくら時が経っても、僕らの存在場から消すことが出来ないものが原爆なのではないか。これを克服しない限り、人は人を心から信頼することが出来ないのではないか。ふと、そんなことを思う。
直接の被爆体験がない僕の、戦争体験もない僕の、それらが風化してゆくと言われている中を暮らしてきた僕の、内心の一点に、深く打ち込まれて抜けない杭のようなものが確かにある。なぜか。なにかが祖先から遺伝して残留しているように感じてならない。なぜか。もしかして、僕らの存在は原爆から始まり直したのではないか。とさえ妄想する。なぜか。
なぜか。と、思う、思いつづける。
忘れてはならないと語り継がれつつも忘れなければ逃れることが出来ないような痛覚、しかし忘却というものが招き入れるかもしれない、もっと恐ろしい何かの予感。を、いまのいま感じる。
生の側に、いる。そのことのもつ重さ。しかし原爆をたしかにけいけんした人間の子孫であるワタクシタチニッポンジンがいま立っているここの、この収束しない放射能禍。たとえばそのようなことごとを始まりとして迷路そのものとしか言いようのない現在此処を皮膚に感覚するとき、上掲の一文の文字の一々が、パッツンと網膜にたちあがってきて、仕方がない。
「ああ、」
「しかし、」
「どうして、」
という三つの言葉は、特に突き刺さるのだ。網膜から脳みそに、脳みそから心臓に向かって、何度も何度も、来る。ああ、しかし、どうして。ああ、しかし、どうして、、、。
「原爆」をへて生まれた一人一人への圧倒的な問いが、この一文のなかには広がっているように思えてならない。
はちがつむいか。はちがつここのか。
原爆忌というのは、ある意味、私たちがなぜここにあり、いまどこに行こうとしているのか、ということを思考するための、生に対する思考を思考停止しないための、毎年毎年に巡り来る「起点」なのではないかとも思えてくる。
stage 櫻井郁也ダンスソロ公演情報(櫻井郁也/十字舎房webサイト)
次回=11/9〜10に決定。近日、詳細を発表します。
lesson 櫻井郁也ダンスクラス・オイリュトミークラス 参加要項