「Girl」 という映画を観た。ベルギーの映画だ。ポスターが気になって行ったのだけど長く残ると思える感動をもらった。物語も映像も深くそれでいて鮮やかで、映画そのものが珍しいほどに素晴らしかった。バレエ学校が物語の舞台だが、その稽古風景や発表はじめ、画面に映し出される沢山のうごきとからだに見惚れた。何も知らずに観たのだったが、エンドロールを眺めていて振付がシェルカウィだったことに気付いた。ノーム・チョムスキーの言葉から発想したというダンス作品「フラクタルV」をみたあと僕はそれまで以上にこの人の仕事に敬意を感じていた。振付もさすがだったが、それに取組む出演者たちのうごきへの関わり方がとても爽やかで強く胸を射た。主人公はトランスジェンダーの少女だったがこの人は透き通るようなダンスをすごくするのだった。しかもそれらを捉える撮影の仕方が何とも映画的だと思った。せっかくだからといって振付や踊りをまるまる見せるのではなく、完全に演出意図の視線に徹底して切り取られていた。これは当たり前なのだろうけれど、あれもこれも見せようとして踊りをまるごと映している割に結局たいして何も見えて来ないというダンス映画(ダンスの出てくる映画?)を何本も観たおぼえがある。踊りをナマで観るときに感じられるものが、映像にきれいに納めてもなぜか感じられなくなってしまうことがあって不思議だ。それは、人間の脳の仕組みに関係あるのだと人から教わったが、そのことを思えば、これくらいバッサリと切り取ったほうが大事なエネルギーが写っているのだなあ、なんて素人考えをした。映像をささえる光も切ない。街の光、稽古場の光、水のなかの光、夜の光、窓外にちらつく雪の光、あらゆる光がやわらかい。光がやわらかいぶん人の痛みがつよく眼にとどくかもしれない。僕は何度かスクリーンから眼を伏せた。監督はこの作品でカンヌのカメラドールを獲得している。 トレーラー (上の写真は同作のチラシ、ちょっとシワになってしまいましたが、、、)


 

stage 櫻井郁也ダンス公演情報

 2019年11月9(土)〜10(日):ソロ新作公演決定

 

 

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