分たれているがゆえに、私たちは触覚をもっているのではないだろうか。
そう思うことがある。
眼を凝らし、耳を澄まし、鼻をひくひくさせ、指先で、鼓膜で、何かをさぐる。
おびえ、渇き、ねたみ、威嚇し、吠え、逃げ、戦う。
それでいて、いつも接触を求めている。
ひとり泣く。
ふと笑う。
ただ、さまよう。
そのようなとき、私は、どこかに他者を感じている。
分たれているがゆえに、私たちは触れ合いを求めているのかもしれないと思う。
触覚は、分たれたものを再び結びつけるためのものなのではないだろうかと思うことがある。
触覚は、痛みと快楽、苦痛と癒しにつながっている。
僕の場合はダンスは、全身にひろがる触覚と関係が深い。ダンスは僕にとって触覚による思考ともいえるかもしれない。
(from Notes by Sakurai Ikuya)
※まえに知覚のことを書いて、上のメモを思い出した。もう10年とか、かなり前のノートだが、最近感じていることにも重なる。