『マックイーン:モードの反逆児』を観た。インタビューとコラージュされるように多数のショーが映し出されるが、彼のショーの美しさはそれらの根底にある彼自身の戦いの蓄積と激しく波打ち続けた心の投影なのだということを、強く感じた。だから美しさと同時に打ちのめされるような衝撃があるのだろう。とりわけそう感じたのは2001年の『Voss』の記録映像だった。ラストで大量の蛾が飛び立つなかに肥満した女性が裸体で横たわってチューブ呼吸をしている、つまり当時スキャンダラスな話題を得ていたJ.P.ウィトキンの写真『Sanitarium』(1983)の再現シーンが現れるこのショーでは、モデルたちはマジックミラーで囲まれた舞台の内部にいて観客のほうを見ることが出来ない。視線があることをアタマでは知っているが肌で感じとることが困難なのだ。孤独で、破壊的で、そして痛いほどリアルな情景だと思った。僕らの姿と重なるとも思った。しかしそれは、この映画にとってあくまで一部分で、全体像はむしろもっと淡々と彼個人の軌跡をえがいてゆくのだった。ひとりの男の子が真面目に身も心も投げ出して世界を引き受けてゆく過程が、巨大なスクリーンとスピーカーに、痛ましいほどに映写されるのだった。彼が布にハサミを入れるときの集中を、また、地道に磨きあげた針仕事の見事さを、この映画は見逃しはしない。そして、彼は周りの人との関係を持続し続けようとする人間だったことが、しっかりと描かれている。自分本位の人ではなく、気ままに生きた人でもなかったことが推測される。そこが、何より素晴らしく、この映画の神経だとも思った。 それは、言葉の選択にもあらわれていて、印象的だった。例えば「彼は遅刻をしない」という証言だ。さりげないが、この一言は彼の才能をはっきり物語っていると思った。もうひとつ印象的だったのは「彼は情報のフィルターで判断しない」という一言で、これは彼の先生の言葉だった。人間は時に奇跡みたいなことを起こすけれどそれは偶然ではなくて地味な地道な作業の積み重ねなのだ、ということを、また、素晴らしい出来事の多くは人と人の関係の結果なのだ、ということを、この映画はハッキリと映し出していると思った。