こういうあつまりが、毎週この日この時間に
めぐってくる。
そのサイクルは身体には、とても大切だ。
サイクルがなければマイペースになってしまう。
いやおうなく訪れる一瞬を大切にしなければ踊りはこないのに、
大事にしたいと思う時ばかりを大切にして気まぐれが延々と続く。
踊り、見られ、話し、きき、また踊る。
もちろん何かをこなすのではなく、このクラスは即興がメインだ。
即興で踊る。
何が起きるか、何を起こせるか、わからないなかに立つ。
はじまりの地点に立つ、とも言える。
全身の感覚を磨いて、柔らかになってゆく稽古だ。
これは一人きりでは出来ない稽古だ。
リスペクトや違和感や共感や、
わかることや、わからないことや、
さまざまなものに、ふいに出会い、かかわる。
これらを通じて、人間というものについて、毎週、思い考え感じる。
その何かが、いつしか身に染み込み、カラダというものをつくるのだと思う。
たぶん、こういうサイクルがなければ、
人間というものについて気がまわるのは、
たまに、とか、ときどき、とかになってしまうだろう。
私は私についてばかり考えることのほうが多くなり、
ダンスも、
「ダンスそのもの」というより
「私のダンス」以上でも以下でもなくなってしまうだろう。
ほおっておくと自分に向き合ってばかりいる、
そんな人ばかりに世の中がなってしまったら、
やがて自分自身にしか興味を向けない人がいっぱい出てきて、
他人に向き合うことも興味を抱くことも少ない、
とても冷ややかな世の中になってしまうだろう。
自分をいかに表現するか、自分をいかに主張するか、
というのは、踊りの態度とさかさまだ。
僕はソロダンスをするが、それでも誰かをいつも必要としている。
自分の力ばかりで踊れたためしがない。
ダンスの稽古というのは結局のところ、一人では何かうまくいかない
と思うのは、踊るということ自体が、ともにあること、に繋がっているからだし、
踊る身体もやはり、ともに、を染み込ませた身体だからだと思う。
(4/20のダンスノートより)※写真はそのページの一部