「責任の正体に迫るためには、自由に関する我々の常識をまず改めなければならない」という一言は、『責任という虚構』という書物からで、今年とりわけ興味深く読めたひとつが、この本だった。ホロコースト再考、服従の原因、集団が支える自己、普通の人間、死刑と責任転嫁、死刑を支える分業体制、刑罰の根拠、正しさの源泉、責任の正体、信頼の構造、正義という地獄、、、。これらすべて目次からの一部だが、僕はこの目次をみて興味がわいたのだった。犯罪について、刑罰について、悪について、さらには自由について、、、。読み進めながら、一種の思考実験のような面白さが出てくるのだった。「人間は外界の影響を強く受けながら、そしてたいていは明確な意識なしに行動する。意志に従って行動を選び取るのではなく、行動に応じて意識が後になって形成される」という言葉もあって、これには共感を持った。写真はその表紙。いま生きている時代に根を張っている常識について再考したくなっていった本でもあった。そしてこの本の範囲ではないかもしれないが「常識」というコトバそのものについても考えてみたいという気持になっていった。

______________________________
【櫻井郁也・活動】
performance ダンス公演
lesson 教室