からだ


まち


すきま





京都で公演した「絶句スル物質」の写真をこのところいくつか掲載※コチラ
しているが、まえの写真は外に抜け出して踊った場面。隣家のトタンに身を寄せたところ。

この右には路地がつづき、路地の先にはタイムズの駐車場があって、何かの業者と近所の人が踊っているこちらをチラ見してタバコに火をつけた。トタンの向こうから微かに掃除機の音がしている。

非常口がダンサーの真後ろになるように客席を組んだのは、このシーンのためだった。

彫刻とダンスを対置するという、この公演の主題から、ちょっとしたハズレというかアソビを持たせたくて、音楽も照明も切ってダンサーも居なくなってしまう、というシーンを挿入したのだった。

ダンスが始まって調子に乗ってきた頃、すこしの間、僕は会場の非常口から出て、姿が見えなくなる。
観客席からは見えないが、ごく少しの時間を、僕はこの非常口から出て、会場裏手の路地で踊って、そして戻ってくる。

外気、街、日常、その感触を本番中に浴びて身体に刺激を入れようとした。
とも言えるし、
がらんと隙間のある時間を、しばらく味わってもらいたかった。
とも言える。

家々が密集する京都の街は、気をつかう面も多いが、僕にとっては幼時の記憶をくすぐるような自然な空気感があった。

何年かまえに名古屋で公演した『クロスコルネア』は、そばの桜並木から踊りはじめて会場に入った。あるときは新宿駅前の雑踏で踊ったその写真をチラシに使った公演『カスケード(2000)』もあった。シチュエーションはその都度ちがうが、街の空気や人のざわめきは、やはり僕の胸を騒がせ身を揺する。

憂ざい反面、好きでもあるのかしら、、、。

街の気配とか日常の余韻は、僕のダンスにとって大切な感覚のひとつなのではないかと、最近、気になり始めている。


ダンスノート

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