つらい気持でいる。折田克子さんが亡くなられたことを知った。
そこにある曲、好きなのやっていいから、、、と言われてアルカンを踊ったら、ああ、まあ、そこにお座りなさいよと、お話をしてくださって、のめりこんだ。それがはじめだった。何とも言えない魅力を感じていた。つまり、その声や、煙草の持ち方や、すべてが、、、。
そのときずうずうしくもお借りしたドラを伴奏にして踊ったのは前橋の臨光閣で、マルセル・デュシャンをお題にしたものだった。階段を下りる裸婦にはじまり機関銃で撃たれる花嫁で終わるという風景から独舞をおこした。
それから少しして、舞台に出ないかと舞踊団から電話をいただいた。「アリスの長い午后」という作品で、チュシャ猫を踊らせていただいたのだった。迷い、師匠に相談して決めた。当時、まだ自分の足が信じられていなかった。教わるような気持で、哲学堂のお稽古場に通い、振付をいただいた。
わずかな期間だったけれど、その日々のなかで、僕は何回もドキドキした。しんとした稽古場にすこし座って、なにかしらのお話をきいて、すこしでも踊るともう声をくださる。必ず何か熱いものが始まるのだった。一瞬一瞬のリアクションに、そして、返されてくる言葉に、ワクワクした。身をさらけだすことの大切さを、また、振りというものを身に受ける喜びを、僕は折田さんから教わったのだと思う。
埼玉芸術劇場での本番はほんとうに大変だったが、とても美しい光景だった。
毛利臣男さんが設計された舞台美術は非常にクールで、最後にはハレーションを起こすほどまぶしい光に照らされた舞台に大量のガラス粉が降り注ぎ、やがて砂煙となるそのなかで、全てのダンサーが踊り行き交う。迷宮を迷う身体が熱を帯び、折田さんは素晴らしく制御されたステップをしかし華やかに踏んだ。そばにいて、見惚れた。
ある日、ぽつりと折田さんに言われた言葉があって、僕はそれをずっと忘れられないで、今もいる。こないだ、『白鳥』のときにも思い出していた。支えられていた。
何年もお会いしなかったある日、地下鉄の中で偶然お会い出来たことがあったが、まるで女子高生みたいにはしゃいで下さって、でも、それが、直接お会いした最後になってしまった。
悲しくなってしまう。ああ、、、。
(5日、80歳、心より感謝を)
そこにある曲、好きなのやっていいから、、、と言われてアルカンを踊ったら、ああ、まあ、そこにお座りなさいよと、お話をしてくださって、のめりこんだ。それがはじめだった。何とも言えない魅力を感じていた。つまり、その声や、煙草の持ち方や、すべてが、、、。
そのときずうずうしくもお借りしたドラを伴奏にして踊ったのは前橋の臨光閣で、マルセル・デュシャンをお題にしたものだった。階段を下りる裸婦にはじまり機関銃で撃たれる花嫁で終わるという風景から独舞をおこした。
それから少しして、舞台に出ないかと舞踊団から電話をいただいた。「アリスの長い午后」という作品で、チュシャ猫を踊らせていただいたのだった。迷い、師匠に相談して決めた。当時、まだ自分の足が信じられていなかった。教わるような気持で、哲学堂のお稽古場に通い、振付をいただいた。
わずかな期間だったけれど、その日々のなかで、僕は何回もドキドキした。しんとした稽古場にすこし座って、なにかしらのお話をきいて、すこしでも踊るともう声をくださる。必ず何か熱いものが始まるのだった。一瞬一瞬のリアクションに、そして、返されてくる言葉に、ワクワクした。身をさらけだすことの大切さを、また、振りというものを身に受ける喜びを、僕は折田さんから教わったのだと思う。
埼玉芸術劇場での本番はほんとうに大変だったが、とても美しい光景だった。
毛利臣男さんが設計された舞台美術は非常にクールで、最後にはハレーションを起こすほどまぶしい光に照らされた舞台に大量のガラス粉が降り注ぎ、やがて砂煙となるそのなかで、全てのダンサーが踊り行き交う。迷宮を迷う身体が熱を帯び、折田さんは素晴らしく制御されたステップをしかし華やかに踏んだ。そばにいて、見惚れた。
ある日、ぽつりと折田さんに言われた言葉があって、僕はそれをずっと忘れられないで、今もいる。こないだ、『白鳥』のときにも思い出していた。支えられていた。
何年もお会いしなかったある日、地下鉄の中で偶然お会い出来たことがあったが、まるで女子高生みたいにはしゃいで下さって、でも、それが、直接お会いした最後になってしまった。
悲しくなってしまう。ああ、、、。
(5日、80歳、心より感謝を)