毎日というものの、非常に微かな感情が、
朝昼晩の、わずかな行為の、気付かぬような重みが、
次第次第に、
背中やら胸のかたちを、かたちづくり、
その固さや柔らかさになり、
あらゆる記憶が足や手や関節にこびりついてゆく。

からだ、なるものが、できてゆく。

体重というものにも、
無数の気持や熱が宿っているようで、
決してそれは無意味に重かったり軽かったりなどしない。

あらゆるものを受け容れて、肉体はある。
それゆえ、肉体はひとつがひとつであり、
あらゆる肉体はただひとつなのだと、思う。

ひとつゆえにあらゆるひとつをひとつとして受け容れ、
それゆえ哀しみや裂け目が肉体にあらわれ、
やがて、いたるところが内部から声を発しはじめ、
張りつめていたものが、もう耐えられなくなって、
それで、肉体は「オドル」という行動に、
ふと、出るのではと思う。

肉体というやつには僕というものとは別の自我があって、
そいつが僕という自我に反抗や暴発をするのかもしれない。

しかし、そんなときでも、肉体は壊れそうになることがある。
これ以上やると壊れそうだ、でも、まだ、というようななかで、肉体は「オドル」。

強くなんかないからこそ、肉体は踊りたいのかもしれない。
弱さや痛みをかかえる肉体は素晴らしく踊るし、
その踊りからは肉体の大切なものが光っている。
うごく、ということに何かが宿る。

壊れたり、痛んだり、ということをまるで知らない肉体は、
たぶん心底から踊ることはないのではと思う。



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櫻井郁也ダンスソロ:公演情報