ときおり宇治の平等院を思い出している。
とりわけ鳳凰堂の空間は特別だ。

庭園の池から太陽の光が反射して堂内に届く。
水のざわめきも一緒に、揺れたまま白壁に反射している。

そこには沢山の雲中供養菩薩像が飛翔している。
雲に乗って音楽を奏しながら、地上の僕らを見つめている。

堂内に半分、

博物館に展示されて近く見ることができるものもある。

なかで、とりわけ僕が気になっているのは「南24番 」と称される菩薩の姿である。

胸をくぼめ、左手を受け手にし、片膝を立てている。
右手は欠けている。
顔はやや左に仰ぎ 眼は閉じている。
閉じた眼で雲に乗っている。

おそらくは何かの響きを聴いている。
しかし賑やかな響きと戯れるわけではない。
聴けば聴くほど静まってゆくような、
光のない音に、寄り添っているようにも見える。

愛、という文字がせなかに記されている。

本当に久しぶりに参詣したのは、ちょうど昨年の春で、気づくと1年近くを過ごしている。