今回の新しいダンスを探りながら、なぜかしら、しきりに思い出す仏像がある。

奈良の松尾寺にある焼損仏で、名の通り、火災をくぐられた仏さまだ。千手観音様と伝わるが、顔も手も失われていて、胴体だけのお姿。

胸は背後の空間にゆるやかなカーブを捧げ、脇腹のくびれが下腹部の柔らかい膨らみに流れてゆく。

母型というのか。

何かが失われた痛ましさは時の流れに浄め尽くされたのか、その優雅で凛々たる姿に圧倒される。
息を呑む。吸い込まれる。

樹木そのものに還られる寸前の姿。
いや、樹木としてさえ朽ちて土に還られる寸前の姿。
というべきか。

ぎりぎりにたもたれたかたちをされている。

美しいもののうしろには、喪失があるのだろうか。

美しいというのは、それが無くなってしまうということが予めわかるから、そういう感情が出てくるのだろうか。

ゆっくりと崩壊してゆくこと。
しだいに消滅してゆくこと。
いのちが入れ替わってゆくこと。

痕跡で、同時に予感で、時間そのものを身籠っていられるようだ。

この仏さまを思い出すとき、記憶のなかで再び見惚れ、見惚れたまま眼を閉じてしまう。

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新作公演7/29-30

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