抱きしめ合う裸体にキラキラと降る死の灰。
痛くなるような溜息、、、。
デュラスとレネによる『ヒロシマわが愛』、
そのファーストシーンだ。

なぜか、雪を見るたび、そのシーンが一瞬だけ、
記憶をかすめて消える。
雪が消えるように。

その映画を初めて観た日は実際、雪が降っていた。

初めてアウシュビッツ跡を訪ねた日も雪だった。
あの、死のレールの前で、
もうこらえきれず、目を空に背けた。
その目に雪が沁みた。
粉雪だった。
こまかな粒が固いまま落下していた。
溶けないまま、積もりもせず、
どこまでも風に転がっていった。
あまりにも気温が低いのだった。陽光はなかった。

大学入試の日も雪だった。
真っ白な池袋の街、積雪を踏む感触、
なぜか30年以上残って、
いや、、、。
雪が降っていたのは、
とりたてて何事もなかった日がほとんどだ。

とりたてて何事もないけれど、
ある日に雪が降って、
それを見つめる。

あ、ゆき、、、と呟いて、
窓を開く。
あ、、、と、
ふと足が止まり空を見上げる。

例えばそれくらいに小さな記憶が、
ずっと残って身のどこかに沈潜している。

雪の日の記憶を辿ると、
ずっと子どもの頃まで行けそうだ。
誰かと手を繋いで雪を見ていた記憶まで。

雪国に暮したことがない僕にとって、雪が降ってきた、ということ自体が、やはり特別なことなのだ。

つらいことも、
幸福なことも、
なんでもない
さりげなく過ぎる一瞬も、
雪と一緒に蘇る。

雪は記憶を増幅させるのだろうか。

11月24日。
早すぎる初雪を眺めている。
1962年以来54年ぶり、
そのとき未だ僕は生まれていなかった。

11月の初雪は、たぶん、
一生に一度のことなのだろう。

(本当は、すべてが一生に一度きりなのだけど、、、)