秋の独舞公演から一週間。あらためて、ご臨席の全ての方々に感謝の意を表したい。
沢山の言葉をいただいた。
こんな方が、こういったお気持ちでご覧になっていたのか、と察しながら、その場に居られた全ての方々の呼吸や視線の力や存在感をありありと思う。作品や踊りは、人の心に結びついて初めて、やっと世界を獲得してゆくのかもしれない。
公演のたび僕は構想し稽古を重ねるなかで沢山の言葉があふれ、それらをメモして膨らませる。それでも、どうにも言葉にならない何かが身体の奥で渦を巻いて、やがて、踊りとなって舞台に架かる。
語り得ないもののカタマリのような「オドリ」が、それを観た方々の心のなかで、何らかの言葉や感情やイメージの萌芽となってゆくのだとすれば、劇場という場は本当に大切な創造の場だとあらためて思う。演者が準備する作品に対して、魂の次元での創造が客席にあるのだろう。そのような魂を揺する力がある作品を提供できるか否かが、僕ら舞踊家の仕事かと思う。そして、舞場から生まれる精神の世界は観客と演者との共同作業なのだと、改めて実感する。次は如何にと衝動に駆られる。いただいた言葉はもちろん、劇場で感じ得た観客の方々の呼吸や気配の全てが、新しい作品の生みの力となる。
気がつけば舞台で踊ること30年を越えているが、自分一人では何も始まらず何も継続するものではない。
観客の方々と一緒に踊っていたのであり、場にご臨席いただいた記憶の一つ一つが行為の杖であり作品の火種であり踊りの糧となってきた。劇場の空気を一緒に呼吸していた方々の存在は、ダンサーにとって宝物だ。深く、本当に。
(謝意にかえて、、、。 2016年 11月櫻井郁也 拝)
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沢山の言葉をいただいた。
こんな方が、こういったお気持ちでご覧になっていたのか、と察しながら、その場に居られた全ての方々の呼吸や視線の力や存在感をありありと思う。作品や踊りは、人の心に結びついて初めて、やっと世界を獲得してゆくのかもしれない。
公演のたび僕は構想し稽古を重ねるなかで沢山の言葉があふれ、それらをメモして膨らませる。それでも、どうにも言葉にならない何かが身体の奥で渦を巻いて、やがて、踊りとなって舞台に架かる。
語り得ないもののカタマリのような「オドリ」が、それを観た方々の心のなかで、何らかの言葉や感情やイメージの萌芽となってゆくのだとすれば、劇場という場は本当に大切な創造の場だとあらためて思う。演者が準備する作品に対して、魂の次元での創造が客席にあるのだろう。そのような魂を揺する力がある作品を提供できるか否かが、僕ら舞踊家の仕事かと思う。そして、舞場から生まれる精神の世界は観客と演者との共同作業なのだと、改めて実感する。次は如何にと衝動に駆られる。いただいた言葉はもちろん、劇場で感じ得た観客の方々の呼吸や気配の全てが、新しい作品の生みの力となる。
気がつけば舞台で踊ること30年を越えているが、自分一人では何も始まらず何も継続するものではない。
観客の方々と一緒に踊っていたのであり、場にご臨席いただいた記憶の一つ一つが行為の杖であり作品の火種であり踊りの糧となってきた。劇場の空気を一緒に呼吸していた方々の存在は、ダンサーにとって宝物だ。深く、本当に。
(謝意にかえて、、、。 2016年 11月櫻井郁也 拝)
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