踊り終わって化粧を落としているとき、数秒間カラダの中味を誰かに引きずり出されたような錯覚に落ちた。

本番ならではの消耗と幕が降りた途端に緊張が切れたのが重なったのだと思う。

突然訪れたその数秒は長かったが、我に返ったとき、何の脈絡もなく、世界というのは原初的には「多」であったのではないか。と、ふと思った。

何故そんなことを思ったのかわからないが、もしかしたら作品のプロセスのなかで知らず知らず、思い続けていたのかもしれない。

沈黙というのが無数の言語から生成される過密ロゴスなのであって、口数が少ないとか単に音がしないのとは全く違うように、ゼロというのは何も無いわけではない、世界の始まり直前を示すゼロ、それは実在と非在の境目に過ぎないのではないか。未実現の実体。出現以前の運動体。それらがひしめき合うように戦闘しながら沈黙の轟音を立てて、見えない光で暗闇を炎上させて「未だ」という出現直前の「多」から「1」という崩壊への境目を形成していたとしたのではないか。そんなイマジネーションがゼロにはあるのではないかと奇怪な妄想をした。

「それでもカラダは声を発してならない」

というような体験状態にあった踊りの空間から、急激に冷却を浴びたとき、こんどはまた別の次元の何かが脳髄に刺さってきたのかしら。
作品は何を連れて来るか、やはり予測がつかない。
旅から帰還する場所は、無いほうが面白い。おぎゃあと産み落とされたらフツリと死ぬまで止まれないのと、なんか似ている。


※いきなり妄言からのブログ再開、失礼しました。ソロ公演が終わって二日たちますが、まだアタマの整理は出来ていないまま。事後感想その他、順次ここに掲載いたします。皆さま、引き続き、どうぞよろしくお願いします。