ダンスに身体そのものをバリバリと掘り下げられてゆく感覚、あるいは身についてしまった価値観に裂け目が走る感覚、その快感は、他のことでは中々ないかもなぁと、レッスンしていても自分の稽古でも頻繁に思う。

たくさん動いたが心はピタッと止まっていた稽古もあるが身じろぎさえ出来なかったが心は激して仕方がない稽古もあり、それら全てから私は何かを変質されてゆく。

イメージも思いもありだが身を揺するほどのものが来るのは大抵は向こう側からだし、そこに筋骨反射神経バランスなどの一種のメカが関わってくると、自分とカラダという関係は、例えば物質と天体のように普段とは全く別のゾーンに入ってゆく。

ふいに訪れる原因。チャンス。そこに網を張って息をこらしている。蜘蛛も猫も人間も、そんな状態に動悸する。生命のカタチ。
動いても止まっても、
身に起こる沢山の微細な出来事を感知しながら、さて、この感覚どうすれば、というオモシロさ。
これは身を揺する何かを求めるダンス稽古に特有のものかもしれない。

知識や予感など裏切られることしばしばだが、それは決して思考を否定するのでなく手前のアタマが働き不足なだけだとダンスは教えてくれるから、僕の場合はダンスに脳の診断をされているようです。逆にほんの偶然から法則のようにカラダが揺れ跳ぶこともあり、その時はささやかな現象でも発見のように眼からウロコ。

カラダと私の付き合いは、現実と夢の付き合いでもあるし、心と物質の付き合いでもあるのかと、、、。あれこれしながら、ダンスには文学音楽科学数学体育ぜんぶあり、それらからはみ出すならば尚更。ということかなんて最近ふと、、、。

(手塚治虫が「火の鳥」のなかで一コマふいにダンスに言及して、踊りによって人は知恵を受け継いだ、と書いてあって、お、と思った。人知を受け継いだのでなく、野生の知恵を受け継いだ、ということかと話の流れから読んだのだが、、、)

大人しく納まっていたい人にはダンスなんかオススメできないが、逆にいま何かしら息苦しいなら、早く早く裸足になってステップをと思うのは、苦心もあるが、それがいつか確実に自分自身の鼓動と知覚を呼び覚ますから。

疾走ばかりならず停滞さえもカラダの営み。そう感覚すればダンスの種はいつも妊娠されてゆく。

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stage & lesson info.

STAGE INFO. 櫻井郁也ダンスソロ新作公演10月29〜30


櫻井郁也ダンスクラス 
杉並・荻窪/週4クラスあり