※しんしんと虫が鳴いている秋の夜に、
この歌を思うことが多い。

つねに何処かに
火の匂ひするこの星に
水打つごとき
こほろぎの声



齋藤史さんの遺歌集から。
初めて知ったとき、非常に感銘を受けた。

歌というのは長くないから、
印象が強かったならば丸々覚えている。
覚えたまま彼方でも此方でも、
心のなかで丸々味わえる。
そこが独特だと思う。
自分なりに解釈したりがなく、
スポンと体に入り込むから、
もしかしたら、
タンパク質のように体を変化させているかもしれない。


※ノーベル賞の季節になると、いつも誰かの頭のなかで革命が起きつつあるのではないか、などと思えてくる。
きょう物理学賞がトポロジーに関わってきた人たちに、と知った。
と言ってもドーナツの穴くらいしか連想できないけど、
カタチによって何かを考えてゆくというのには興味を持った記憶があり、
けれども流石に数学の世界は簡単に入り込むことができる本が見つからなかったから、
この事をきっかけに、少しでも分かりやすい書物が出ると良いのになぁと思う。
きのうのオートファジーだって、セルフカニバリズムとでも言うのかしら、窮地となれば知らぬ間に自分で自分を喰らって何とかすると言うことなのかしらん何だか凄い話だなぁなどと奇妙な曲解を楽しみつつも、いや少しでも真面目に判ればなどとも欲情を覚えたりする。
考えて調べて世界を理解しようとする脳ミソを持って生まれるのだから、人というのは本当に面白いと思う。