われわれは突然この地上にとり残されてしまった、、、
という言葉がある対談本で引用されていて気になった。
スペインの政治思想家オルテガ・イ・ガセットの言葉だったが、過去作の舞踊衝動に接する感がその言葉にはあって、、、。
それは、両国のシアターXで踊った『サヴァイヴァ・あるいは安息の戸を叩く愚者の踊り』というソロダンス(写真)で、上演は2000年だから随分経つが、いま踊ることに切れてはいない。
バルトークのオペラ「ミラクルマンダリン」を原作とした短編で、身体が広い砂漠のなかで雷に打たれているように見えたと言われた。
「ミラクルマンダリン」は、不死を得た中国の官吏が殺されても殺されても蘇生してしまい様々な不条理に巡り合わされながら際限なく生き続ける苦しみを味わってしまうという物語。つまり、死の恐怖から逃れた者が体験したのは生の迷宮そのものでもあった、という怪奇な逆転劇だ。
そこから得た身体感覚がダンスに結びついたのだったが、そのときは上手く言葉に出来なかった心情を、先のオルテガの一言は代弁してくれたように思えた。もちろん、言葉になんかなっていたらダンスは生まれていなかったのだろうけれど、、、。
世紀末の怪奇譚のなかに
迷い込みながら、原作者のベラ・バルトークは何故こんなに不穏で孤独な歌を歌ったのかと考えさせられ、作曲当時の世相にも憶測や幻想は及んだ。
それは戦争やファシズムを体験した祖父母の時代でもある。
政治にも宗教にも革命を起こし自由を手に入れながらも自立の孤独に向き合わざるを得なくなった近代。経済支配が姿を見せ、自我と欲望が嵐のような競争を始める時代の始まり。
オペラの主人公である「不思議な役人」は、欲しいものを片端から手に入れ不死さえも手に入れながら彼は愛を手に入れることが出来ずにいる。
生きれば生きるほど欲望が膨らみ、同時に様々な不条理にばかり出会って虚無感にさいなまされニヒリストになってゆく、
その姿は欲望の悪霊に取り憑かれた近代エリートの象徴にも思えたが、あながち過去の話とも言えない。
作曲者のバルトークは激変する時代の空気を吸いながら、近代化のなかで失われゆく民衆歌の調査収集に務め自らの作品に反映しようともしていた。不気味で怪奇なオペラなのに、押し寄せる不協和音の奥で微かに響こうとする民謡風の「うた」の欠片は、失われてゆく人間の温度みたいでもあり、これが聴こえなかったら多分僕はダンスを踊ることが出来なかったかもしれない。身体は心を探しているのだから。
台頭する虚無と遠ざかる人間性。そんな空気感を底知れず反映したバルトークのオペラから、人が踊る、人が踊りを観る、という気持ちの奥に何があるのかを探し直させられた経過がある。
渇望の果て、ついに彼はある娼婦の愛を得る。肉の官能のなかで、エロスが心を揺らし始め、愛とはもしやこれか、と彼女の抱きしめ方が変わってゆくそのとき、彼は何故か不死の力を失ってしまう。彼女に芽生えた感情を、これを愛情というのか、これが生の証しなのか、と気付いたとき、彼は息絶えてしまう。愛の力は死を受け入れる者にしか降り注ぐことはなかったのだ。
そんなお話をダンスにすることは、踊りを通じてどこまで他者の魂に触れることが出来るかという試みでもあったし、ライフというものを或る悲喜劇として見つめ直したり、そこに自分が体験してきた出会いや孤独や渇望を重ねて人間を感覚しなおす経験でもあった。
他人の世界観を担うのだから、身体とダンスの力量を本当に試されたという体験でもあった。
しかし、一方で少し不可思議な体験をも、この舞台はくれた。
舞台は現世と異界との境目だという、そこを少しだけ垣間見たような体験だ。
物語を演じる者には、時に強い同化の余り、自分が自分でなくなることがある。憑依というのだろうか、別なる魂が身体に入ったきり出て行ってくれなくなるのだ。
俳優さんの経験を聴いたことこそあったが、ダンスでも、やはりそれはあるんだと、思い知らされたのが、この作品だった。
昼間の稽古をして毎夜毎夜バルトークの音を聴き楽譜を眺めオペラの歌詞を暗唱してゆく、それが癖のように止められなくなってしまうなかで、神経が狂いかけているのを感じた。僕はマンダリンではない、と思うほどに奇怪な幻想が離れなくなってゆくのだ。
舞台というものが、少し怖くなりもしたし、反面、より深く関わる肚も決まった。
その後、 アルトーの声と言葉で踊った本番のあとなかなか自分が帰ってこない、次第に情緒やバランス感覚が狂いかけ、関わった他人の棘が深く突き刺さってしまった、取り殺されたらどうしようかと不安になったことがあったが、それはこの作品で変化した感受性ゆえだったかもしれない。
作品をつくる自己がありながら、作品の方から、ある種の別なる身体というものが訪れて、自己に宿る、というようなことも、あるのだろう。
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櫻井郁也ダンスソロ公演情報