1.生まれてきたのは何故なのだろう、死んでしまうことにも何かしら意味があるのだろうか。大袈裟でなく、やはり何かしらそこに当たる。一番身近な話なのに意外と判らないのが面白いが、、、。


2.ダンスというのは「限られた時」というものに深く関わっている気がしてならない。今やっておかなければ直ぐに無くなってしまうかも、急に死んでしまうかも、という思いと肉の揺れ振れがシンクロし始めるのだろうか。


3.踊りが、オドリという自立した言葉で伝わったのは、言葉なんかとは根本から違う現象なのだろう。落雷や野火のように、オドリはある身体とか場に落っこちてくるが、その狙い目は自己とか他者とかいう境目がぐらつくところにあるのだろうか。

4.いつまでも生きていられないのを感じるから人は踊れるのかもしれない。体も心も永遠でないと感じるから性愛のエロスが波打つように、もう無くなりそうな時間にオドリの現象は落下するのかもしれない。猫科のように、身を澄ましながら、その時をねらう。

5.日々、身体は太陽や月に食われてゆく。秒速で枯れ、ゆるやかに壊れながら、身体は舞うのだが、何を待望しているのか。舞場というカタストロフ、カタストロフという生成。

6.稽古していると、ああだこうだと小理屈を出そうとする自我というものが、子離れしない母親のようにウルサくなってきた。わたくし、という星に戦争を始めたくなる。

7.解体、解体、解体、解体、解体。壊れ生まれ、そのままに。

追記:ノート採録、まとまりなく失礼しました。次第に公演が近くなり緊張感が増す反面、早く早くと衝動を抑える日々です。生まれてきたのは何故なのだろう、死んでしまうことにも意味があるのだろうか。そんなことを、僕も思うが、カラダもカラダで考え悶え始めている実感あり。
いよいよ、さてここから。なのでしょう。
判らない処まで、どんどん行く所存です。

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櫻井郁也ダンスソロ新作公演ウェブサイトSAKURAI Ikuya Dance Solo 公開中

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参考:作品歴、ご感想リンクなど