奈良の春日大社の建築についてテレビでやっていた。
いま20年に1度の大改修「式年造替」が進む。郷里の人から送られた写真も合わせ、色々と思いが動く。
春日の一の鳥居をくぐれば奈良町から繁華街に出る。旧市街に育った僕にとって、春日の参道は毎日の通学路でだった。郊外に越したあとも中高と高畑にあったから、結局12年ほど毎日一の鳥居をくぐり続けたことになる、懐かしい。
そういえば、春日大社の巫女さんの舞は物心ついて初めて観たダンスだったかもしれない。白装束の質素な舞だが、質素ゆえに冴え冴えとした透明な舞だ。それを舞う少女の後ろ姿は朱色の社殿と青空にクッキリと浮いて、とても綺麗だった。神さまが観るのだから僕ら人間には背中しか見えない後ろ姿の舞だった。巫女さんといったって神秘的というより、可愛いらしく初々しい。奈良にも皆で踊る盆踊りなどもあるにはあるが、そんな巫女舞は、舞楽や薪の能と一緒になって何となく生活の空気に溶け込んでいた。
朱の明るみにも似たインパルス、青空と森の匂い、、、。
それは興福寺の阿修羅や薪能の夜闇と炎に対比するような相性もあったと思う。
習ったわけでもないのに、やんわりと身体に染み付いているのか。稽古などで変に作り事や虚構を頼ってしまうと、居心地のワルさに加え、その記憶が叱ってくる。
今でも何度も繰り返し思い出しながら少しづつ変化して、また帰郷などで見返す機会あるたびパっパっと小さな発見を加えて更新され、いつも新しい何かを与えてくれる。
ところで、式年造替の進む社殿は、生まれ変わる時期になる。
さっきちらっと書いた朱の色も塗り直し新たまる。
神社の朱には二手あるそうで、春日大社のそれは「本朱」と呼ばれ受け継がれた古式の製法による。鉛を成分とするベンガラなどの朱色に対して、本朱は硫黄と水銀が成分で、手作業で練り合わせて少しづつつくられていくのだという。
比べると一般的な朱色が茶色にしか見えなくなるほど明るく赤く眩しい。発色の鮮やかさに対して傷みやすさも特徴らしく20年毎の造替は必然的な塗り直しの時期だそうで、丁度そのタイミングが今この年にあたる。
新しくなった朱の色を見つめていると、映像なのにもかかわらず、気持ちが晴れ晴れしてくる。本物の前に早く行きたい。
色の命が蘇り、花が咲くように社殿は生まれ変わる。
新たな華を垣間見せた春日の社は、魂そのものの若やぐ姿にも感じられて、目が覚める。
色の命は全ての命に重なるのだろうか。
いま20年に1度の大改修「式年造替」が進む。郷里の人から送られた写真も合わせ、色々と思いが動く。
春日の一の鳥居をくぐれば奈良町から繁華街に出る。旧市街に育った僕にとって、春日の参道は毎日の通学路でだった。郊外に越したあとも中高と高畑にあったから、結局12年ほど毎日一の鳥居をくぐり続けたことになる、懐かしい。
そういえば、春日大社の巫女さんの舞は物心ついて初めて観たダンスだったかもしれない。白装束の質素な舞だが、質素ゆえに冴え冴えとした透明な舞だ。それを舞う少女の後ろ姿は朱色の社殿と青空にクッキリと浮いて、とても綺麗だった。神さまが観るのだから僕ら人間には背中しか見えない後ろ姿の舞だった。巫女さんといったって神秘的というより、可愛いらしく初々しい。奈良にも皆で踊る盆踊りなどもあるにはあるが、そんな巫女舞は、舞楽や薪の能と一緒になって何となく生活の空気に溶け込んでいた。
朱の明るみにも似たインパルス、青空と森の匂い、、、。
それは興福寺の阿修羅や薪能の夜闇と炎に対比するような相性もあったと思う。
習ったわけでもないのに、やんわりと身体に染み付いているのか。稽古などで変に作り事や虚構を頼ってしまうと、居心地のワルさに加え、その記憶が叱ってくる。
今でも何度も繰り返し思い出しながら少しづつ変化して、また帰郷などで見返す機会あるたびパっパっと小さな発見を加えて更新され、いつも新しい何かを与えてくれる。
ところで、式年造替の進む社殿は、生まれ変わる時期になる。
さっきちらっと書いた朱の色も塗り直し新たまる。
神社の朱には二手あるそうで、春日大社のそれは「本朱」と呼ばれ受け継がれた古式の製法による。鉛を成分とするベンガラなどの朱色に対して、本朱は硫黄と水銀が成分で、手作業で練り合わせて少しづつつくられていくのだという。
比べると一般的な朱色が茶色にしか見えなくなるほど明るく赤く眩しい。発色の鮮やかさに対して傷みやすさも特徴らしく20年毎の造替は必然的な塗り直しの時期だそうで、丁度そのタイミングが今この年にあたる。
新しくなった朱の色を見つめていると、映像なのにもかかわらず、気持ちが晴れ晴れしてくる。本物の前に早く行きたい。
色の命が蘇り、花が咲くように社殿は生まれ変わる。
新たな華を垣間見せた春日の社は、魂そのものの若やぐ姿にも感じられて、目が覚める。
色の命は全ての命に重なるのだろうか。