写真家・石内都さんの展覧会『Frida is』が銀座の資生堂で開かれている。
メキシコを代表する画家フリーダ・カーロの遺品たちを撮影されたもので、岩波から写真集も出た。

美しさと痛覚が溶けあったような作品群で世界中から愛され続けるフリーダは6歳で小児麻痺になり右足が短かった、そのうえ18歳のときに乗っていたバスに電車が衝突するという大事故にあい下半身を酷く痛めた。終生、車椅子の生活を余儀なくされながら、女性が自立することさえ疎まれた時代に、画家として世に挑み続けた。そして情熱的に恋をした。革命家のトロツキー、彫刻家のイサム・ノグチ、巨大壁画のディエゴ・リベラ。彼女に恋した男たちも波乱の人々だった。全身全霊で命を燃やし沢山の夢をこの世にのこしたフリーダ・カーロは、どんなに苦しいときもオシャレを楽しみ、生活の楽しみも大切に育み続けた人だったという。
そんなフリーダの暮らしたメキシコの「青い家」の自然光のなかで撮影されたのだという遺品たちは、遺言により死後50年封印されていたそうだ。

可愛い赤い靴は、左右の大きさが違う。コルセットには綺麗な模様が丁寧に描かれている。大切に繕われた衣服があり、小さなケースに入った口紅、破れたサングラス、痛み止めのモルヒネの瓶が、、、。彼女の遺品たちは、彼女の身体の延長そのものと感じられる。ひとつひとつが、太陽の光と、そして石内さんの眼差しと、真っ直ぐに見つめあっているようだ。

石内都さんの作品に初めてふれたのは目黒区美術館の「ひろしま/ヨコスカ」という写真展だった。
水流のような音が聞こえていたような記憶は正しいかどうか、もうわからないが、そこで出会った写真のすべてが、とても柔らかくて、その柔らかさが、柔らかさを忘れかけていた僕には痛く衝撃的だった。そのときの写真を含む「ひろしま」という写真集を、いままた見つめている。

1945年8月6日の広島、その瞬間まで人々の身を包んでいたぼろぼろの衣類たちを透過光のなかでとらえた写真の数々。

一枚一枚の写真のなかで、花柄のワンピースや小さなセーラー服たちが、あかるい光を噛みしめているように静かに佇む。
じっと見つめていると、少女や赤ちゃんやお母さんたちの淡い気配が、あるいは、あの晴れた朝の朝ご飯の香りが、眼の奥に染み込んでくるような気持ちになる。
そして、たましい、という言葉を久しく忘れていた何かと再会するように思い出す。
それから、僕らひとりひとりも、もしかしたら、命という時間を過ごし終えたあと何か小さな物質のなかで遠くまで存在してゆくのかもしれない、とも思えてくる。