53歳にしてオリンピックに参加している卓球選手、ルクセンブルクのニー・シャーリエンさんに魅了された。

僕は卓球に詳しくないが、彼女のプレー姿はとても落ち着いていて、勝ちも負けも、喜びをもって受け止めプレーを心から楽しんでいるように見える。一球に入魂しながら、相手が打ち込む一球を心から受け止めてゆく。そして一球一球の受け答えへの喜怒哀楽が全身から溢れる。本当に素敵だ。

卓球を通じて、勝負を通じて、この人は全身全霊での対話をし愛おしんでいるように見えた。
チャーミングな表情と堂々とした立ち居振る舞い。スポーツを通じて人生の一瞬一瞬を味わう素晴らしさを表現してくれているように感じる。オリンピックの中継から、人と人の触れ合う喜びがこんなに感じられたのは、僕にとってはささやかな事件だった。

何の偶然か、この世に命をもらえたことの喜び。それを確かめ合うことはダンスにも共通する。
彼女の卓球を見ていると、なんだかそこはかとない感謝と希望が湧いた。

お人柄のみならず、お国柄にも触れるような感じもあった。個人的にも希望をもらった国で、組織や世評をはさまずに個人のアプローチに耳を傾け個人招聘をしてくれたのがルクセンブルクだった。短期間ながら家を貸していただいて暮らしその街の劇場で働いたが何もが、さりげなくて大袈裟でなくて、でもシビアで、だけど親切だった。日本人なんかじゃなく、アーティストでもなく、個人を見つめられているんだ、という感覚とともに、なんだか家族が大きくなったような国に来たんだなぁ、という感覚がとてもあった。帰国後も色々と世話していただき、国と国の関係は個人と個人の関係にこそ始まることを実地で教わった感じが強い。もっと友達に、もっと近づいて、という言葉を沢山きいた。

個人への眼差しを持つ国。そんなお国柄だからこそ、のびのびと自分の可能性を発揮する人が住み得るのでは、とも思う。
ニー選手の爽やかさの底には、そんな、個人個人を大切にする人々と暮らしている経験や気持ちが、やはり反映してあるのではないかと、勝手に想像を巡らせる次第である。ニー選手の卓球に、国なんか越えた個人と個人の対話を感じたのかもしれない。