夜中に考え事をする公園に行くと、淡い小さな光がたくさん、ふわふわと宙に浮いて蠢めいている。

この都心だから、まさかホタルではない。いつになく人がいっぱい居るのだ。

あちこちで、スマホの光を見つめながら、ふわふわと宙に浮いたような足取りで、ゆっくりと徘徊している。

そう、この公園はポケモンの出没地帯の一つなのだ。

位置情報ゲーム「Pokémon GO」が賛否を呼びつつ流行していて、ゲームに興味がない僕には昼間は邪魔だなぁくらいにしか思っていなかったが、夜になると見えてくるこの異様さは何だろう。

暗闇に沢山の小さな光が蠢めく風景は、幻みたいだ。

人々は一様にヘッドホンをつけていて音は静かに虫の声だけがしんしんと響く。この世ならぬ異界というか、どこか別の次元に迷いこんだ感覚がある。

たかがゲームと思う反面、これが拡張現実(AR)なるものが導き出した風景なのだろうと思うと、人間の魂が肉体から離脱して仮想の迷宮に取り込まれてゆく風景を、僕は垣間見ているのかもしれない。不穏な予感さえして、背筋に冷たい感覚が走るのだった。

アメリカの映画監督オリバー・ストーンによる刺激的なコメントも興味深い。オリバー・ストーン記事

しかし、拡張現実と言えば、アーティストのni_kaさんが東日本大震災の時に発表したAR詩 『2011年3月11日へ向けて、わた詩は浮遊する From東京』 という試みもまた思い出される一つだ。これは、パウル・ツェランの『誰でもない者の薔薇』を根底に据えた弔いを巡る遠隔コミュニケーションの挑戦だった。

セカイカメラというスマホソフトを用いて東京のある地点に薔薇の花を咲かせ、画面タップから詩が出ては、受信者がそれに対する返詩をする。あの震災の途方もない現実に対して立ちすくむ魂と魂が、スマホを通してしか見れないもう一つの世界/コトバを通じて、メッセージを交わし合う。「新しい詩」として発表されたそれは、同じシステムを使っても、資本の論理とは別の側からの使い方だった。ni_kaさんblog

これまで常に身体のテンポで、血の通った変化をしていたはずの現実が、気がつくと電子技術による突然変異を起こし始めている。
この状況にあって、これから、僕らの意識や魂は、どうなってゆくのだろう。

世界というものへの対峙の仕方が、僕らの僕ら自身に対する意識や考え方や行動の一つ一つが、いま問われていると感じてならない。