イギリス国民投票の結果とそれに伴う動揺はただ事では済まなくなっているが、投票に先立つ論争のなかで、音楽家のブライアン・イーノが出した声明文は興味深く思えた。イーノはEU残留を支持しつつも半ば今回の国民投票自体に意義があるとすればそれはEUというものの存在について当事者として捉え直すことだと問うた。イギリスに先だち、スイスではベーシックインカムをめぐる国民投票が実行されたが、それは僕には、より実験的でリスキーな挑戦に思えた。二つのまるで異なる国民投票を通じて、複雑な思いを抱きながらも、共同体というものに対して、いま一人一人が意識的な関わりを考えないわけにはゆかない時代を迎えていると実感することになった。
EUの問題にせよ、ベーシックインカム制度の可能性にせよ、いずれもが単に彼の国々の課題にとどまるわけはなく、国境と経済と生存をめぐる制度について、地球規模の議論が進行して旧来の政治体制も政治思想も無効化してゆくのはすでに時間の問題ではないかと僕は思う。
政治家が政治家ならではに可能な視点から何かを投げ国民が当事者としての思想と意志と行動の機会を持つ、そのようなプロセスが僕らの世界には始まっているのかもしれないし、先走ったことを言えば直接民主主義ということも視野に入ってくるのかなとも思うが、それ相当の下地も勉強もが僕ら自身にいよいよ必要だということも痛感する。
スイスでは、ある問題に関して10万人の署名が集まれば国民の提案を投票に上げることがすでに決められている。対して日本は政治家と市民の関係自体に議論が及ばないまま慣習のごとき選挙が目前となり、言論・表現・集会の自由を保障する憲法を持ちながら言論そのものに対する意識あるいは発話意識そのものが曖昧な感がする。自由と権利と参政と経済運用について、いま一歩もっと細やかで具体的に進めることは出来ないだろうかとも思う。参院と首都知事選挙ともに政治家に何を託してゆくのか自体が曖昧になって(されて?)いて政治家と市民のキャッチボール自体が困難だ。18歳で選挙権を得ても、社会構造も社会目標も見えにくいから誰に何のために投票していいのか解らない人が多いのでは、とも思う。
権力や制度やシステムに対して僕らは考え直さざるを得ない時に来ているし誰かをリーダーに担ぎ上げ無防備に何かを託す恐ろしさは歴史から体験済みだが、それを感じながら僕自身個人も新しい行動の仕方がまだ見えないで苛立っている。
世界が変わらねばならないのを多くの人が感じ「政治」に対する無期待が慢性化して久しいまま放射能は拡がり続けマネーは密やかに亀裂を生み続けるいま、為政とは何か、世界の共有とは何か、助け合いとは何か、幸せとは何か。と、一生活者として考えずにいられないし、逆に、考え直す機会が到来しているとも思える。一人一人が真剣に探さないと、僕らは僕ら自身が無意識に作り上げている怪物に飼い慣らされ知らず知らず緩やかに喰い殺されてゆく予感がする。
一人一人が世界の核であると同時に一人一人が世界の原因である。細やかな関心と関係が巨大な結果を呼び込む時代が来るのではないか。と思う。
EUの問題にせよ、ベーシックインカム制度の可能性にせよ、いずれもが単に彼の国々の課題にとどまるわけはなく、国境と経済と生存をめぐる制度について、地球規模の議論が進行して旧来の政治体制も政治思想も無効化してゆくのはすでに時間の問題ではないかと僕は思う。
政治家が政治家ならではに可能な視点から何かを投げ国民が当事者としての思想と意志と行動の機会を持つ、そのようなプロセスが僕らの世界には始まっているのかもしれないし、先走ったことを言えば直接民主主義ということも視野に入ってくるのかなとも思うが、それ相当の下地も勉強もが僕ら自身にいよいよ必要だということも痛感する。
スイスでは、ある問題に関して10万人の署名が集まれば国民の提案を投票に上げることがすでに決められている。対して日本は政治家と市民の関係自体に議論が及ばないまま慣習のごとき選挙が目前となり、言論・表現・集会の自由を保障する憲法を持ちながら言論そのものに対する意識あるいは発話意識そのものが曖昧な感がする。自由と権利と参政と経済運用について、いま一歩もっと細やかで具体的に進めることは出来ないだろうかとも思う。参院と首都知事選挙ともに政治家に何を託してゆくのか自体が曖昧になって(されて?)いて政治家と市民のキャッチボール自体が困難だ。18歳で選挙権を得ても、社会構造も社会目標も見えにくいから誰に何のために投票していいのか解らない人が多いのでは、とも思う。
権力や制度やシステムに対して僕らは考え直さざるを得ない時に来ているし誰かをリーダーに担ぎ上げ無防備に何かを託す恐ろしさは歴史から体験済みだが、それを感じながら僕自身個人も新しい行動の仕方がまだ見えないで苛立っている。
世界が変わらねばならないのを多くの人が感じ「政治」に対する無期待が慢性化して久しいまま放射能は拡がり続けマネーは密やかに亀裂を生み続けるいま、為政とは何か、世界の共有とは何か、助け合いとは何か、幸せとは何か。と、一生活者として考えずにいられないし、逆に、考え直す機会が到来しているとも思える。一人一人が真剣に探さないと、僕らは僕ら自身が無意識に作り上げている怪物に飼い慣らされ知らず知らず緩やかに喰い殺されてゆく予感がする。
一人一人が世界の核であると同時に一人一人が世界の原因である。細やかな関心と関係が巨大な結果を呼び込む時代が来るのではないか。と思う。