ついに星に帰ってしまった星、デビッド・ボウイ。彼が絶世の美女カトリーヌ・ドヌーヴと組んだ映画を思い出している。公開当時なぜか酷評された美作『The Hunger』(T.スコットの初監督作)は、僕のなかでは忘れられない吸血鬼映画のひとつ。夜と霧、サングラス、白い肌、シューベルト、パンク、ゴシック、エロス、老い、そして血。双璧を成すのは、イザベル・アジャーニとクラウス・キンスキーの中世暗黒オカルト映画『ノスフェラトゥ』(R.W.ヘルツォーク監督)くらいか。

吸血鬼の物語に魅せられるのは、その底に流れる「渇き」への共感ゆえかもしれないが、同時に、血の求め合いという怪奇な物語が、魂の渇きゆえに肌や体温を求め合うエロティシズムの空気感にぴたりと重なるからだろうか。抱きしめるものを求めて夜を彷徨う切なさ。強く抱きしめられながら全てを与えてしまう恍惚。怪奇と残酷の物語であるはずの吸血鬼にはなぜか美貌と陶酔が欠かせない。だから、吸血鬼ほどハードルが高い「役」はなかなか無いのだが、デビッド・ボウイはまさにハマり役で美しく哀しい残酷者だった。星から落下した男は、夜と孤独の似合う「渇きの天使」でもあったし、それゆえ、天性の吸血鬼役者でもあったのだと思う。僕ら全ての夜と渇きを反射したまま、行ってしまった。デビッド・ボウイ。その残像は果てしなく渇いたままの深く青い光だ。