次々と彼方に行ってしまう。
ヨシダヨシエさんに続けて、今夜は音楽家のピエール・ブーレーズ氏の訃報を知る。
1月5日、90歳。ああ、もうそんな歳だったんだ。
僕はずっとブーレーズの作曲した音楽に壁のようなものを感じていたが、CDでしか聴いてなかった。パリのアンテルコンタンポランの演奏会で聴いて自分勝手に感じていた壁があっさり無くなった。
(演奏者がいる場所にカラダを運ぶ。時間と金と集中力をかける。最初から最後まで一気に聴く。生きた身体が介在して、音楽は生きた音楽になるのだと思い知ったのは何度目だったか。お手軽なモノからはそれ相応の音しか聴こえないのは、当たり前なのだが、、、。)
ともかく、生演奏で聴いていると、ブーレーズの音楽は音響そのものが生まれてゆく過程に立ち会うようでもあり、知性が音楽になって響いているみたいだった。光を垣間見るようでもあり、この作曲家はアタマの出来が違うんではないか、とさえ思った。新鮮さが消えていないのに、年は無情、時は無常。
なんとも、2016は送ることに始まった。
一歩先を走る人が次々と走り去る。
生きることは生を巡る実験だと、その生をもって実践し続けた人が、一人また一人と、、、。
長過ぎた幼年期を一歩踏み出す時が人類に来ていることを、彼ら走り去る人々は教えているようにも思える。
ヨシダヨシエさんに続けて、今夜は音楽家のピエール・ブーレーズ氏の訃報を知る。
1月5日、90歳。ああ、もうそんな歳だったんだ。
僕はずっとブーレーズの作曲した音楽に壁のようなものを感じていたが、CDでしか聴いてなかった。パリのアンテルコンタンポランの演奏会で聴いて自分勝手に感じていた壁があっさり無くなった。
(演奏者がいる場所にカラダを運ぶ。時間と金と集中力をかける。最初から最後まで一気に聴く。生きた身体が介在して、音楽は生きた音楽になるのだと思い知ったのは何度目だったか。お手軽なモノからはそれ相応の音しか聴こえないのは、当たり前なのだが、、、。)
ともかく、生演奏で聴いていると、ブーレーズの音楽は音響そのものが生まれてゆく過程に立ち会うようでもあり、知性が音楽になって響いているみたいだった。光を垣間見るようでもあり、この作曲家はアタマの出来が違うんではないか、とさえ思った。新鮮さが消えていないのに、年は無情、時は無常。
なんとも、2016は送ることに始まった。
一歩先を走る人が次々と走り去る。
生きることは生を巡る実験だと、その生をもって実践し続けた人が、一人また一人と、、、。
長過ぎた幼年期を一歩踏み出す時が人類に来ていることを、彼ら走り去る人々は教えているようにも思える。