年末といえば「第九」。聴くたび酔う。あと何回これを聴くことができるかと思う。

第三楽章が胸に沁みるようになってきたのは年齢のせいもあるのか最近のこと。

ひたすら遠くへ遠くへと澄みわたるように、あるいは静かな炎の揺らぐように、響き重なる音の波は格別と思う。

聴き入ると、ただただ音だけがある次元に誘われる。

音は、そこはかとなく全てを受け入れてくれるようにさえ感じる。

時の流れのなかに身をまかせる喜びが、じわじわと込み上げてくる。

過ぎてゆく刻一刻。
過ぎてゆく喜怒哀楽。過ぎてゆく全てのものが新しい何かに微笑するような優しさと哀しさが同居して、メロディーは遠くへ行く。

あの歓喜の合唱が未来のためのものだとすれば、この静かな弦楽合奏は現在の淡々とした日々への讃美歌に聴こえてならない。

取り立てて何かがある必要などない。日々をささやかに過ごすことは、糸を紡ぐような確かさで命を紡ぐのだから。
と、この静かな弦楽は教えてくれるように思う。

ただただ響く音、静かに歌ってくれる音楽に出会えることは幸福だ。

いつかこの音楽を踊れる力がほしい。この音楽のような静かな力強さがあるダンスを踊れるようになりたい。
そう思いながら、今年も「第九」を聴いている。