まぶしい。
これは耐え切れない。
と思ったとき目が覚めた。

夢だった。

もう少し詳しくは、まずザラザラした萌黄色の平面が広く拡がり、そこに細い線が幾つも見えて鋭角に交わり、やがて幾何学を成した。パスカルの7角形のような形だった。

やがて、その線の一つ一つがじわじわと光り始め、交点のそれぞれで光が交わり明度を増してゆく。
そして、その交点の一つが白よりも白くなり、どこまでも眩しく光が強まり続ける。

見惚れながら、何故かその光はある音楽を現していると確信している。だが、その音楽が思い出せなくて、もがく。もがきながら、音がないことに気付く。
音がないのに、どんどん静かになる。
麻痺する感覚にはまり込んでゆく。
それに合わせて、眩しさは耐えがたいほどになり、さらに光が強まってゆく。

もう見てられない、と思ってウワッと身をよじる。

と、目が覚めた。
落下するようにどすりと体重を感じた。
覚醒は重さの感覚を伴う。

ちょっとした悪夢だが綺麗でもあった。なんだか見応えのある夢だったから、目が覚めたあと、メモった。

夢の意味をいちいち詮索する趣味はないが、夢を見るのは睡眠の楽しみ。眠るとき、今日はどんな夢が見れるかと期待する。

ときには二度と見たくない夢もあるが、概ね何だこの感覚は何だ光景はと、のめり込む。

夢を見ない熟睡のあとは体調良いが、何か残念な感覚がある。せっかく眠りの世界に行ったのに、と。

眠りにはカラダを休める効果もあるのだろうが、僕の場合は旅行や観劇にでも行くような感覚で眠ることが多い。

夢は非現実ではなく、別なる現実だと思う。人生の半分近くは睡眠のなかにある。宇宙は少なくとも二つある。

夢で興味深いのが、鎌倉時代の僧侶・明恵。

その『夢記』は
19歳から入寂前年59歳にいたるまで約40年にわたって自ら見た夢を記録したものだという。40年、よく続けたものだと思う。

夢の内容は様々ながら、夢を通じて僕らは人生を二重に愉しむことができる。