踊りから、素直になる喜びを学んだのかな、と思うことがある。
踊りを学ぶことは、先生に見つめられる日をもつことだった。最初は毎週1日、いつしか毎日のように、同じ人の前に行く。何年かわからない間に、家と職場の他に、もう一つの「行き場=生き場」ができた。色々なことを直されているようでいて、実はそれは、丸ごと見つめてもらえている場所でもあった。素直になった時は先生の顔や話しが柔らかくなり、無用な力みや作りがあった時は少し硬い何かが却ってきた。稽古場に鏡はなかったが、先生や周りの人が鏡のようだなと、そう感じ始めたころ、何か会でも考えてみては、という人がいた。一緒に試行錯誤し、おそるおそる相談に行ったとき、先生は題名をつけて下さった。思い知らされるような結果のあと、新しいスイッチが入り、稽古の仕方が変わり、やがて先生の舞台裏を手伝うようになって、凄まじい稽古姿を見た。素直になる努力の凄まじさ、純粋だった。知らない人の前に立つ時は素直にならないと踊れないな、と、いま心底おもう。知らない者どうしが、嘘なく向かい合うとき、とても静かで透明な一瞬が生まれることを、踊りは舞台は劇場は稽古場は、教えてくれる。
昨日は今月の『舞踏・追加クラス』、今日は定例の『ダンス/舞踏クラス』だった。
追加クラスは、定例クラスに追加して、もう少し踊りたい人、もう少し話しを聴いてみたい人、そんな人のために開いている。定例クラスは毎週決まったメンバーで進める。
昨日も今日も、来た人たちとの会話から内容を即決したが、味わい深い時間だった。
クラスはセミプライベートに近い対話的な稽古をするようにしている。一人一人の個別の心身に集中して出会う貴重な機会である。
クラスでの発見や発展は多い。プログラムの自由度を高くすればするほど、現場で感じたり考えたりすることが、そのまま次の一瞬に反映する。
他者の動きの印象を、あるいは自己の運動体験や内面変化を、話してくれる人もいる。それを聴いているだけでも、考えや感情が、思いがけない拡がりをもつ。
面白いとかツマラナイとか勝手にきめつけないで、何でも思いつくままにやってみると、だんだんとカラダが、語り始めたり唄い始めたりする。動きが色々な連想に繋がる。
少し話して、少し動いて、、、。
言葉や音を受け止めながら、解放されたり、戸惑ったり、動きまわったり、立ちすくんだり、、、。
喜怒哀楽、自由不自由、緊張弛緩解放エトセトラエトセトラ。
そんな姿は、本人が思う以上に愛おしいものだ。その愛おしさに本人も気づくとき、人と人の壁がふと消えて、踊りが始まるのかな、と、思う。
踊りを学ぶことは、先生に見つめられる日をもつことだった。最初は毎週1日、いつしか毎日のように、同じ人の前に行く。何年かわからない間に、家と職場の他に、もう一つの「行き場=生き場」ができた。色々なことを直されているようでいて、実はそれは、丸ごと見つめてもらえている場所でもあった。素直になった時は先生の顔や話しが柔らかくなり、無用な力みや作りがあった時は少し硬い何かが却ってきた。稽古場に鏡はなかったが、先生や周りの人が鏡のようだなと、そう感じ始めたころ、何か会でも考えてみては、という人がいた。一緒に試行錯誤し、おそるおそる相談に行ったとき、先生は題名をつけて下さった。思い知らされるような結果のあと、新しいスイッチが入り、稽古の仕方が変わり、やがて先生の舞台裏を手伝うようになって、凄まじい稽古姿を見た。素直になる努力の凄まじさ、純粋だった。知らない人の前に立つ時は素直にならないと踊れないな、と、いま心底おもう。知らない者どうしが、嘘なく向かい合うとき、とても静かで透明な一瞬が生まれることを、踊りは舞台は劇場は稽古場は、教えてくれる。
昨日は今月の『舞踏・追加クラス』、今日は定例の『ダンス/舞踏クラス』だった。
追加クラスは、定例クラスに追加して、もう少し踊りたい人、もう少し話しを聴いてみたい人、そんな人のために開いている。定例クラスは毎週決まったメンバーで進める。
昨日も今日も、来た人たちとの会話から内容を即決したが、味わい深い時間だった。
クラスはセミプライベートに近い対話的な稽古をするようにしている。一人一人の個別の心身に集中して出会う貴重な機会である。
クラスでの発見や発展は多い。プログラムの自由度を高くすればするほど、現場で感じたり考えたりすることが、そのまま次の一瞬に反映する。
他者の動きの印象を、あるいは自己の運動体験や内面変化を、話してくれる人もいる。それを聴いているだけでも、考えや感情が、思いがけない拡がりをもつ。
面白いとかツマラナイとか勝手にきめつけないで、何でも思いつくままにやってみると、だんだんとカラダが、語り始めたり唄い始めたりする。動きが色々な連想に繋がる。
少し話して、少し動いて、、、。
言葉や音を受け止めながら、解放されたり、戸惑ったり、動きまわったり、立ちすくんだり、、、。
喜怒哀楽、自由不自由、緊張弛緩解放エトセトラエトセトラ。
そんな姿は、本人が思う以上に愛おしいものだ。その愛おしさに本人も気づくとき、人と人の壁がふと消えて、踊りが始まるのかな、と、思う。