進行中の企画のひとつをご報告します。

長崎で踊りませんか、と誘われて、話し合いや稽古が始まりました。

上演日は8月9日。
70年目の原爆忌になります。

美術の瀧澤潔さんとのアートコラボレーションで、地元の子どもたちとのワークショップで作るインスタレーションにダンサーが関わり、美術作品とダンスが長崎の夜に鎮魂の時を紡ぎます。瀧澤潔さんとは、越後妻有トリエンナーレ、横浜国大附属鎌倉小学校、いちはらアートミックスを経て4回目の取り組み。共同作業を重ねながら、関係の深まりと、このチームならではの挑戦に、また一歩踏み込むことになります。

上演地は、長崎中心部から電車で1時間くらいの海辺の町、大村地域の松原小学校です。

松原小学校は、あの日被爆した方々が「救護列車」に乗って搬送され看護された場所の一つです。

長崎では「救護列車」が負傷者の救護や避難に重要な役割を果たしました。
あの日の長崎では、原爆で破壊された鉄道の急遽復旧に成功し、被爆後わずか3時間弱の午後1時50分には、最初の救護列車を発車しました。
爆心地から安全なところに被害者を搬送し、また炎のなかへと引き返しては負傷者を乗せ、9日当日の深夜までに4往復を運行したのだそうです。
駅から各救護所へ負傷者を運んだのは主に女性たちと年配者たちで、担架が無いので、みんな家から戸板を外して持ち寄り、手から手へと懸命に運んだそうです。

当時の出来事について、あの日この場所で生まれ今日まで語り伝えられた悲しみや祈りについて、いままだ響きつづける痛みについて、お伺いしました。
震災のことや放射能のことにも言葉は及びます。平和という言葉さえ揺らぎつつある、現在の私たちの状況も重なってきます。
感極まり、そして、さまざまな魂に見つめられているような気持になります。

あの日からの70年を僕たちはどう過ごしてきたのだろうか、
いま僕たちはどんな風を呼吸していて、
これから僕たちはどんな光を生み出すことができるのだろうか。

原爆投下が昼前の11時2分。
この松原小学校に救護列車が到着したのが夜9時前後。
その時間は今回のパフォーマンスが丁度終わる頃になりそうです。

この松原小学校の在校生と一緒にお祈りの時間を過ごし、ささやかながら心をこめた踊りを捧げたいと思い、いま対話や稽古を重ねています。

主催は長崎にある「松原の救護列車を伝える会」で、当日の祈念行事の一環として上演する予定です。

このプロジェクトは、秋発表を目指して制作を進めている新作にも、また僕自身のダンスに対する姿勢にも、大きな影響を与えそうです。
舞台の踊りは魂への捧げ物なのではないかと思うのですが、この長崎でのダンスは、本当に捧げ物としての取り組みです。
澄み切ったカラダにならねばと思っています。

行事名・時間・作品内容など決まり次第、まとまった詳細告知をさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

※「松原の救護列車を伝える会」に関する新聞記事です。(リンク)

※武蔵野美術大学の方々による「平和を願うモニュメント制作」に連動して生まれた企画です。
モニュメント制作は始まっているそうですから、こちらに関する情報も、またご紹介できればと思います。

プロジェクト詳細&応援ファンド
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★2015年内、櫻井郁也のステージ予定★