たった一度の舞台鑑賞が人生にどれほど力を与えてくれるか、それを思い知らせてくれた人が一人また逝かれた。
20年以上経ったいまも、あの迫力に息をのんだ記憶は生々しい。
東京文化の席はステージから遠くて決して見やすくなかった筈なのに、克明に覚えているのは肌に感じた熱さ。マイヤ・プリセツカヤさんの白鳥。
昨日夜遅くに訃報を知って、僕たちダンサーの最高の先生がまた一人亡くなったという悲しみ以上に、咄嗟に思い出したのは、遠い舞台からあの踊りの迫ってきたその体験だった。そして、畏怖と敬意が、じわじわと湧き上がるのを禁じ得ない。
伝記を読んだこともあったが、旧ソビエト時代の闘うような生き様は想像を絶する感じで、それは少々つらくても背を押してくれる強いメッセージだった。
プリセツカヤさんの白鳥は瀕死の悲哀を超えた復活の秘儀にも感じられたし、不死鳥の誕生にさえ見えた。同時代を踊り抜いた彼女はダンスのシンボルだと思う。
バトンは渡されてゆく。どんなバトンを、どんなふうに、受け止めてゆくか。問われていると思う。明らかに世界の変わり目に生きながら、生命と存在と、その器である身体について、いかに。
89年の生命の軌跡に、襟を正す。
20年以上経ったいまも、あの迫力に息をのんだ記憶は生々しい。
東京文化の席はステージから遠くて決して見やすくなかった筈なのに、克明に覚えているのは肌に感じた熱さ。マイヤ・プリセツカヤさんの白鳥。
昨日夜遅くに訃報を知って、僕たちダンサーの最高の先生がまた一人亡くなったという悲しみ以上に、咄嗟に思い出したのは、遠い舞台からあの踊りの迫ってきたその体験だった。そして、畏怖と敬意が、じわじわと湧き上がるのを禁じ得ない。
伝記を読んだこともあったが、旧ソビエト時代の闘うような生き様は想像を絶する感じで、それは少々つらくても背を押してくれる強いメッセージだった。
プリセツカヤさんの白鳥は瀕死の悲哀を超えた復活の秘儀にも感じられたし、不死鳥の誕生にさえ見えた。同時代を踊り抜いた彼女はダンスのシンボルだと思う。
バトンは渡されてゆく。どんなバトンを、どんなふうに、受け止めてゆくか。問われていると思う。明らかに世界の変わり目に生きながら、生命と存在と、その器である身体について、いかに。
89年の生命の軌跡に、襟を正す。