雑文。

ソロ公演がはねて、すぐ4月。次の公演を目指して新しい作品づくりも始まり、クラスも新年度に入りました。
舞台活動とクラス活動に加え、僕はダンス学校でも教えていて、そちらは職業舞踊家の養成ということになっているから、かなり沢山の事を教える、これまで実技ばかりだったのが、ひょんなことから今年から「舞踊史」の講義も入れてくれということになって、受けました。大変なのは分かっているのだが、これまで興味の赴くままに調べていた様々なことを、ひとつの系譜図のように紡ぎなおす機会と思うし、踊りを言葉に置き換えてゆく作業も面白いかなと、挑戦することにしました。
明日、初講。

自分自身ではその日その日の気持をカラダに落とし込んでいるつもりでも、僕のダンスは、いつのまにかコンテンポラリーダンスという言葉に区別されていて、でも、踊り始めた頃、そんな言葉はなかった。舞踏、と言う人もいる。そう呼ばれる根拠はなにか、自分ではどう思っているのか、カラダから現れてくるコレは何と呼ぶべきか、など、考えているまに、どんどん名前がついてゆく。名づけようのない何かでありたいと願いつつも、それはそれで面白く、また淡々と踊る。作品が舞台が生まれ、消えて、また生まれゆく。自分も、カラダも、変わってゆく。

舞踊史を勉強していると、舞踊とは何か、と自らに問わざるを得ない気持に、あらためて、なります。いや、舞踊、という言葉そのもの小山内薫や福地櫻癡による造語となれば、おどり、というべきか。

動作は暮らしにいつも伴っているが、踊る、というとき、日常の動作とは一線を画した意識が生まれ、日常の動作とは何かがちがう身体の感覚が生まれている、それは確かなことで、これこそ踊り、これこそダンス、そのように感じる動作や姿態や佇まいが、時代時代にどのように自覚されてきたのか、そんなことが歴史の中には秘められているようにも思います。受け継いだり、変化させたり、あるいは喪失や欠落を想像しながら復古したり再生したりしながら、人は、存在の、時の流れの、源流へ源流へと、旅しているのかもしれないです。

歴史に、思い馳せる、調べる、纏める、それはどういうことかな、と思います。それを人に語ることは、もっと、どういうことなのか、も含めて。

僕は僕の先生(笠井叡)に出会わないと今のように踊っていないかもしれない、今のような生き方自体、していないかもしれないです。僕の先生は、その先生(土方巽、大野一雄)に出会わなかったらどうだったか、大野一雄さんがマリ・ヴィグマンに出会わなかったら、ヴィグマンがニジンスキーやクロイツベルグやダルクローズと同じ時代を過ごしていなかったら、、、。

師弟関係だけではない、色々な影響や共振や反発が、時間の流れと人の広がりから、一つの身体を変容させてゆく。

僕の場合、例えばパクストンがいなかったら、カニンガムがいなかったら、シュタイナーがいなかったら、ボイスがいなかったら、どうだったか。バリ島での、ドイツでの、稽古体験がなかったらどうだったか。ダンスでないが打楽器奏者を目指すトレーニングがなくてストラビンスキーにクセナキスに興味が出たか、映画作家を目指さなかったらゴダールの光やパゾリーニの原罪に触れたかどうか。

凄いなあ素敵だなあと思って、真似ようとしたり、大事にしたいからこそ真似ないように気をつけたり。
借り物ばかりでは困りますが、やはり、自分一人で何かが出来るとは、やはり思いません。

さまざまな偶然を孕みながら、異なる文化や異なる時代を呼吸し、まねび、あるいは変化させて、僕らの身体は成立して、また新しい身体へと脱皮してゆく。
そんな様子を想像する楽しみが、歴史にはあるように思います。

箸が転んでもおかしい年頃の少女たちが、やすやすと聴いてくれるかどうか、戦々恐々ですが、自分のためにもなると思い、ここらでちょっと少し、勉強し直してみようかしらと思っています。