映画『グッド・ウィル・ハンティング』のなかに出てきた台詞。シンプルだけれど、本当に力ある一言。ツボだった。
心のままに進め。
抱きとめる覚悟がないと、そんなこと言えない言葉だ。
ダンスの渦中で、あるいは、作品制作で、いやいや、いつだって一番気になっているのはそれ。と、膝を打った。
能も力も神のみぞ知ることだけれど、心、となると自分がいる。心のままに進め、とは、僕には、ウソつくな、に近い。阿呆でも結構だが嘘つきはイヤだ。
そこはしつこく追い詰めたくなる。
心がわからないと、心のままに、なんかなれない。心を裏切るとウソつきだからいじけた身体になる。心を真っ直ぐに見るのは怖いが、心から眼をそらすのは恥ずかしいことだ。
心を曖昧にしたくない。
それを皆に映画の場合は言うのだから、なかなか凄い。名台詞ではないかと思う。匂わせるのでなくて、言い切る。しかも、さらりと、だから。
自由に。好きに。なんてしょっちゅう聴くが、
だけれど『ココロのママ』という言葉は、案外、聴く機会が少なかった。ダライ・ラマは何かの時にそれを言っていた。
ありそうで、ない。言えそうで言えない。けど、うなづく人は多いんじゃないかしら。
(だけれど僕の場合、俺も同じ事を思っていたんだよな~、と思う時は、大抵、思ってなんかいないにキマってる。とほほだが。)
毎日毎日、心のままに進め、と自分自身に言える人でありたい。言えるかな。今からでも。
心を抱きとめられるか。キチッと。
亡くなったロビン・ウィリアムズを慕ってだろう、放送されたこの映画を、久しぶりに見た。趣味=映画鑑賞。
監督ガス・ヴァン・サントの作品のなかでは『エレファント』がダントツに好きだけれど、それは透明な痛みを宿した映像ゆえなのだが、この映画にもやはり、その感じは漂っていて、
ほんの少しの飛行機雲の断片や、背中丸めて振り向く人物のふとした目付きに、割れたガラスの破片みたいな質感がかすめる。上の台詞も、はっ、としたのは背景にある危うさゆえか。余計なお世話に聞こえません。
主人公が旅立ち、黄昏が空を覆ってゆくエンドロールを見ていて、
アレン・ギンズバーグとウィリアム・S・バロウズに捧げられた作品と知った。両名もちろん萌え止まない。
心のままに進め。
なるほどな、と思った。
心のままに進め。
抱きとめる覚悟がないと、そんなこと言えない言葉だ。
ダンスの渦中で、あるいは、作品制作で、いやいや、いつだって一番気になっているのはそれ。と、膝を打った。
能も力も神のみぞ知ることだけれど、心、となると自分がいる。心のままに進め、とは、僕には、ウソつくな、に近い。阿呆でも結構だが嘘つきはイヤだ。
そこはしつこく追い詰めたくなる。
心がわからないと、心のままに、なんかなれない。心を裏切るとウソつきだからいじけた身体になる。心を真っ直ぐに見るのは怖いが、心から眼をそらすのは恥ずかしいことだ。
心を曖昧にしたくない。
それを皆に映画の場合は言うのだから、なかなか凄い。名台詞ではないかと思う。匂わせるのでなくて、言い切る。しかも、さらりと、だから。
自由に。好きに。なんてしょっちゅう聴くが、
だけれど『ココロのママ』という言葉は、案外、聴く機会が少なかった。ダライ・ラマは何かの時にそれを言っていた。
ありそうで、ない。言えそうで言えない。けど、うなづく人は多いんじゃないかしら。
(だけれど僕の場合、俺も同じ事を思っていたんだよな~、と思う時は、大抵、思ってなんかいないにキマってる。とほほだが。)
毎日毎日、心のままに進め、と自分自身に言える人でありたい。言えるかな。今からでも。
心を抱きとめられるか。キチッと。
亡くなったロビン・ウィリアムズを慕ってだろう、放送されたこの映画を、久しぶりに見た。趣味=映画鑑賞。
監督ガス・ヴァン・サントの作品のなかでは『エレファント』がダントツに好きだけれど、それは透明な痛みを宿した映像ゆえなのだが、この映画にもやはり、その感じは漂っていて、
ほんの少しの飛行機雲の断片や、背中丸めて振り向く人物のふとした目付きに、割れたガラスの破片みたいな質感がかすめる。上の台詞も、はっ、としたのは背景にある危うさゆえか。余計なお世話に聞こえません。
主人公が旅立ち、黄昏が空を覆ってゆくエンドロールを見ていて、
アレン・ギンズバーグとウィリアム・S・バロウズに捧げられた作品と知った。両名もちろん萌え止まない。
心のままに進め。
なるほどな、と思った。