いま二つの作品創作を同時進行しており、これまでにない稽古量をこなしています。
ひとつは5月東京公演の新作ソロ『その血にきけ』。
長年取り組んできたシュタイナーの言葉が初めて自身の創作に直接結びついてきた作品です。
目下、構造が定まり、振付ディテールに入っております。
もうひとつは今月末に上演がせまった中房総国際芸術祭でのアートコラボレーション『記憶の海をわたることから』。
リハーサルを繰り返しながら機材調達やサウンド構築など、共同制作者の美術家・瀧澤潔さんと一緒に、いよいよラストスパーク。

そんな日々の中、なぜかふと土方巽さんのことを思い出します。大変なときになると、この人のこと、この人の舞台の残像が、風のようにパーッと走るのです。僕が観ることが出来た舞台は、もう最後の方でした。東北歌舞伎計画と名乗った一連の舞台でした、真っ黒な十字架上に立ち並ぶ真っ白な体が鈴を鳴らすようにシャンシャンと足踏みならすその熱の余韻は冷めず、冷めないゆえ、何かを創るときの根っこを支えてくれているのかもしれません。これを決して真似ないで、これとは別の何かを、と、憧れゆえの反対側を探している気が今でもなんだかするのです。

土方さんについて、唐十郎さんが書かれた文章と、岸田理生さんが書かれた文章を、読みました。
大雨の日に迷い込んだ紅テントで、泥水のうえに座って観た唐十郎さんの舞台は、土方さんの舞台とならんで心の宝のひとつです。
岸田理生さんは天国に行ってしまわれた人ですから、むこうで土方さんと話しているかもしれません。韓国に持っていくから、と僕のダンスビデオを阿佐ケ谷駅で渡したきり。あの細い肉体から湧き出た劇的世界は、ハンパなくかっこ良い女性のダンディズムでした。
そんな二人が書いた土方巽についての言葉たちを読みながら、土方さんの舞台の残像に、そんな二人の舞台の残像も交錯して、また力が湧きました。

僕が舞台で踊るのはソロダンスです。独舞ですが、心の中ではひとりではありません、ということを、あらためて、ふと、つよく、感じてしまいます。ひとつの肉体には、いくつもの魂がつらなっていることを、教えてくれたのが土方さんだったのかもしれないな、大事な人々との出会いを呼び込んでくれた風が土方巽という名前だったのかな、なぜかそう思うこのごろです。

クラスの方も今年は内容を充実させたく思っており、春のメンバー募集をそろそろ始め、そして、夏の8月お盆前後にささやかなショーイングなど出来ればいいなと調整を開始しております。踊り始めようという方は、ぜひご連絡下さい。

日々あたたかくなります。あたらしい春をむかえるべく、舞台にもクラスにも、気持を入れていきたいと思います。

櫻井郁也・公演サイト