初山滋さんの展覧会を観た。
この絵、覚えてるでしょ、やっぱりいいよ、本物みてみなよ、と、展示デザインをしたパートナーの誘いもあって。
初山氏の絵をじっくり観たのは、何年ぶり、いや、何十年ぶりかしら。
コドモノクニ、アンデルセン童話、それから国語教科書。昭和の子どもだった僕の、いつも側にあった初山氏の絵は、21世紀の大人になった今も、やはり心を明るくしてくれた。
大人のための版画指南に、
人生いろいろ見て来られたのだから、他人の眼など何も気にせず、ご自分の心を楽しませて下さい、但しくれぐれも怪我などなされぬよう。といった趣旨の文章があって、優しく本質を突かれているなと、感動した。
絵の中に甘えきる、
という言葉を、ご自身の仕事集の巻頭に書いていられる。素敵な言葉だ。
初山滋といえば、懐かしく思い出すのが国語の教科書だ。お使いだった方も多いかと思う。僕も、その一人だった。
光の繭に包まれたような、動物や花びらや少女少年。それらが国語の教科書を彩り、可愛いね、きれいだね、と、先生がため息をついていた記憶がある。絵本がわりに、眺めた記憶がある。
初山氏の絵は、日本中の子どもに毎朝、柔らかな光を注いだ。いつの間にか、魂を育ててくれたんだと、いま思えてならない。
光村出版の『しょうがく・しんこくご』
昭和54年まで全国の小学校で使われた。1年生から6年生、全学年の教科書画を一人の画家が手掛けるという大胆な試みは、本当に大変な仕事だったのではと思う。
1955年トッパン、アンデルセン童話、マッチ売りの少女。
これには、改めて衝撃を受けた。
温かさな寒さ、哀しい喜び、ダンスそのもの。
子どものために何かを描く。それは未来への祈りに他ならない、という、創作の原点を、確かめた思いがあった。
いい踊りを、つくりたいなと、シンプルに思い改めている。
なんだか少し、うれしい。
(ちひろ美術館東京にて)
この絵、覚えてるでしょ、やっぱりいいよ、本物みてみなよ、と、展示デザインをしたパートナーの誘いもあって。
初山氏の絵をじっくり観たのは、何年ぶり、いや、何十年ぶりかしら。
コドモノクニ、アンデルセン童話、それから国語教科書。昭和の子どもだった僕の、いつも側にあった初山氏の絵は、21世紀の大人になった今も、やはり心を明るくしてくれた。
大人のための版画指南に、
人生いろいろ見て来られたのだから、他人の眼など何も気にせず、ご自分の心を楽しませて下さい、但しくれぐれも怪我などなされぬよう。といった趣旨の文章があって、優しく本質を突かれているなと、感動した。
絵の中に甘えきる、
という言葉を、ご自身の仕事集の巻頭に書いていられる。素敵な言葉だ。
初山滋といえば、懐かしく思い出すのが国語の教科書だ。お使いだった方も多いかと思う。僕も、その一人だった。
光の繭に包まれたような、動物や花びらや少女少年。それらが国語の教科書を彩り、可愛いね、きれいだね、と、先生がため息をついていた記憶がある。絵本がわりに、眺めた記憶がある。
初山氏の絵は、日本中の子どもに毎朝、柔らかな光を注いだ。いつの間にか、魂を育ててくれたんだと、いま思えてならない。
光村出版の『しょうがく・しんこくご』
昭和54年まで全国の小学校で使われた。1年生から6年生、全学年の教科書画を一人の画家が手掛けるという大胆な試みは、本当に大変な仕事だったのではと思う。
1955年トッパン、アンデルセン童話、マッチ売りの少女。
これには、改めて衝撃を受けた。
温かさな寒さ、哀しい喜び、ダンスそのもの。
子どものために何かを描く。それは未来への祈りに他ならない、という、創作の原点を、確かめた思いがあった。
いい踊りを、つくりたいなと、シンプルに思い改めている。
なんだか少し、うれしい。
(ちひろ美術館東京にて)