東京は初雪、そして大雪。
散る花のように降ったあと、かなり積もった。
夕方まで家で過ごした。たまには、こんな日がほしい。
図書館で借りていた本を積んで、膝の高さほどあったのを片っ端から読んだ、っていうか目を通した。
いそがしいとき、かえってそんなことをしたくなってガマンが出来ない。
あれもこれも、いっぱい本が溜まる。それなのに、また買う。そして借りて来てしまう。
読書家ではない。けれど、びしりと文字で埋められているページをざくざくめくっていると、なんだか化学物質みたいなのが脳内にあふれてくるのか、ちょっと気持がよくなってくる。
カフカ、ストロース、ボルヘス、それからいま売れているときく日本の小説にマンガに、好きな女流作家のエッセイに。
まるで脈絡はない。
大庭みな子さんの本はとても美しいし、林あまりさんの句集は胸に来る。
夜になって静かなので外に出た。広い公園があって、そこは純白になっている。
こんな日は、フットワークの宝庫だ。バスッと雪に踏み込む。凍っているところをスルスルとズリ歩く。みぞれ状のぐちょぐちょに、ハマる。
冬はクラスもフットワークの練習を丁寧に行なう季節だ。稽古場でも、さんざん歩き踏むから、ちょっとした研究にもなる。メソッドというのは好きではないが、自分で採集した身体感覚は信用できるし面白い。見ず知らずの有名人がつくりあげた方法なんかよりも、自分の躰が感じた動きのコツや面白さの方が、取り入れることが出来る。
雪のなかでは音も楽しい。
足が地面をつかむ感覚や、バランスをとるあぶなっかしい上半身が、ちょっとしたリズムを生む。
その感じが、雪音に出る。録音しながら、足。
リズムの原型はカラダのなかにあってそれが足から流出する。
土や雪や大気の寒暖乾湿が、それに外側から刺激を与えてくれる。
大地に足が触れる時、音楽がはじまるのではないかしら。
季節はいつもカラダに変化をくれる。四季折々、それは稽古のなかで僕が大事にしていることの代表格だ。
雪のなかで、足のさまざまな遊びをつかの間。
やがてステンと転んだ。ちょっと笑いを噛んだ。
こんな寒い夜だが、なぜか他にも佇んでいる人が数人いる。
いつも一人になるためにこの公園にくるのだけれど、きょうは何人か、おぼつかない足で、うろうろしている。
子どもが早速つくったらしい雪だるまも、ちゃんとあった。都会の郊外の雪景色は、そんな感じだ。
白い場所に黒い人影。水銀灯。
『クンブ・メラ』のニュースを見た。
1100万人の沐浴。
12年に一度の大祭を迎えたガンジス河畔の風景は、すさまじい。
映像だというのに、極彩色をまとう人の波と嬌声の渦と舞い上がる埃と茶褐色の水しぶきたちには、すこしばかり理性を狂わせられそうだ。
インドの空を僕は知らないし、ガンジスの水温は体験したことも無いけれど、肌にサリーをぴたりとはりつかせて祈る女性たちの映像を通して、なめらかな水が肌に触れる、その柔らかさを、ニュースは伝えてくる。祈りの風景は、時にエロチックでもある。
日本の祭りでもそうだけれど、祭りというものには色も魔も棲息しているようで、何だか少し恐ろしいような魅力がある。
そういえば、今年は、伊勢の式年遷宮の年だ。
雪かきをしておく。明日の朝のために、ちょっとだけ。
気がつけば、雪のあとの空は透き通っている。
いつもより星が鋭く光る。
東京の空がキラキラしている。
散る花のように降ったあと、かなり積もった。
夕方まで家で過ごした。たまには、こんな日がほしい。
図書館で借りていた本を積んで、膝の高さほどあったのを片っ端から読んだ、っていうか目を通した。
いそがしいとき、かえってそんなことをしたくなってガマンが出来ない。
あれもこれも、いっぱい本が溜まる。それなのに、また買う。そして借りて来てしまう。
読書家ではない。けれど、びしりと文字で埋められているページをざくざくめくっていると、なんだか化学物質みたいなのが脳内にあふれてくるのか、ちょっと気持がよくなってくる。
カフカ、ストロース、ボルヘス、それからいま売れているときく日本の小説にマンガに、好きな女流作家のエッセイに。
まるで脈絡はない。
大庭みな子さんの本はとても美しいし、林あまりさんの句集は胸に来る。
夜になって静かなので外に出た。広い公園があって、そこは純白になっている。
こんな日は、フットワークの宝庫だ。バスッと雪に踏み込む。凍っているところをスルスルとズリ歩く。みぞれ状のぐちょぐちょに、ハマる。
冬はクラスもフットワークの練習を丁寧に行なう季節だ。稽古場でも、さんざん歩き踏むから、ちょっとした研究にもなる。メソッドというのは好きではないが、自分で採集した身体感覚は信用できるし面白い。見ず知らずの有名人がつくりあげた方法なんかよりも、自分の躰が感じた動きのコツや面白さの方が、取り入れることが出来る。
雪のなかでは音も楽しい。
足が地面をつかむ感覚や、バランスをとるあぶなっかしい上半身が、ちょっとしたリズムを生む。
その感じが、雪音に出る。録音しながら、足。
リズムの原型はカラダのなかにあってそれが足から流出する。
土や雪や大気の寒暖乾湿が、それに外側から刺激を与えてくれる。
大地に足が触れる時、音楽がはじまるのではないかしら。
季節はいつもカラダに変化をくれる。四季折々、それは稽古のなかで僕が大事にしていることの代表格だ。
雪のなかで、足のさまざまな遊びをつかの間。
やがてステンと転んだ。ちょっと笑いを噛んだ。
こんな寒い夜だが、なぜか他にも佇んでいる人が数人いる。
いつも一人になるためにこの公園にくるのだけれど、きょうは何人か、おぼつかない足で、うろうろしている。
子どもが早速つくったらしい雪だるまも、ちゃんとあった。都会の郊外の雪景色は、そんな感じだ。
白い場所に黒い人影。水銀灯。
『クンブ・メラ』のニュースを見た。
1100万人の沐浴。
12年に一度の大祭を迎えたガンジス河畔の風景は、すさまじい。
映像だというのに、極彩色をまとう人の波と嬌声の渦と舞い上がる埃と茶褐色の水しぶきたちには、すこしばかり理性を狂わせられそうだ。
インドの空を僕は知らないし、ガンジスの水温は体験したことも無いけれど、肌にサリーをぴたりとはりつかせて祈る女性たちの映像を通して、なめらかな水が肌に触れる、その柔らかさを、ニュースは伝えてくる。祈りの風景は、時にエロチックでもある。
日本の祭りでもそうだけれど、祭りというものには色も魔も棲息しているようで、何だか少し恐ろしいような魅力がある。
そういえば、今年は、伊勢の式年遷宮の年だ。
雪かきをしておく。明日の朝のために、ちょっとだけ。
気がつけば、雪のあとの空は透き通っている。
いつもより星が鋭く光る。
東京の空がキラキラしている。