(『コドモのりょうぶん』創作ノートより)
小学校の空気は独特だ。あちこちがガランと、寒いのに、暑苦しいほど生気がたまりをつくっていて、こういう場所に毎日を過ごした記憶が確かにあるはずなのだが、放りっぱなしにしたパズルのように、何かが欠落している。
そのわりに、画や芸能の空気感は、やけにくっきりと覚えていて、何十年もわらわらと脳天を動かしてくる。
育った土地がら、仏像をさかんに観た。そして頻繁に能を観に行った。薪に照らされて舞う姿をじっと見つめていた。神秘という言葉を知らないままに、息を詰めてじっと見つめていた。吸い込まれるような、あの場がたまらなく好きだった。ゴヤの絵を観て眠れなくなった。マハの謎めいた姿態や、子を喰うサトルヌスのそこはかとない恐ろしさ、それらは何度も夢に出てきて無言のままでじっとしていた。大人たちが美と呼ぶものは、怖れや畏れと同時に存在していた。それらは、人間そのものへの好奇心を膨らませながら世界の多様さへ門を開いた。
子どもたちに向けてのソロダンスは初めてだ。
自分自身、子どもの頃に観たり聴いたりしたものは、かなり強く魂に根付いているから、これは非常にやりがいがある。
僕ら人間は、子どもを見守る期間が長い生物だ。成長する姿を、新たな大人としての役割を担う姿を、時には、次第に年老いてゆく姿をさえ、見守り、何かを託してゆく。託されたものを、ある日ふと自覚したとき、子どもは本当に大人になる、なることが出来る。それは、何ものにも囚われずに、自分の力で、自分自身として生まれなおす瞬間でもあるのではないかと思う。
僕は、ことばを託すことは出来ないが、一瞬の「姿」を託すくらいのことは、してみたい。
そう思いながら踊ってきた。そのまま、ありのまま、淡々と、さらけ出すことが出来れば、いいなと思う。
明日の公演は、久々の完全即興でもある。さて・・・。
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小学校の空気は独特だ。あちこちがガランと、寒いのに、暑苦しいほど生気がたまりをつくっていて、こういう場所に毎日を過ごした記憶が確かにあるはずなのだが、放りっぱなしにしたパズルのように、何かが欠落している。
そのわりに、画や芸能の空気感は、やけにくっきりと覚えていて、何十年もわらわらと脳天を動かしてくる。
育った土地がら、仏像をさかんに観た。そして頻繁に能を観に行った。薪に照らされて舞う姿をじっと見つめていた。神秘という言葉を知らないままに、息を詰めてじっと見つめていた。吸い込まれるような、あの場がたまらなく好きだった。ゴヤの絵を観て眠れなくなった。マハの謎めいた姿態や、子を喰うサトルヌスのそこはかとない恐ろしさ、それらは何度も夢に出てきて無言のままでじっとしていた。大人たちが美と呼ぶものは、怖れや畏れと同時に存在していた。それらは、人間そのものへの好奇心を膨らませながら世界の多様さへ門を開いた。
子どもたちに向けてのソロダンスは初めてだ。
自分自身、子どもの頃に観たり聴いたりしたものは、かなり強く魂に根付いているから、これは非常にやりがいがある。
僕ら人間は、子どもを見守る期間が長い生物だ。成長する姿を、新たな大人としての役割を担う姿を、時には、次第に年老いてゆく姿をさえ、見守り、何かを託してゆく。託されたものを、ある日ふと自覚したとき、子どもは本当に大人になる、なることが出来る。それは、何ものにも囚われずに、自分の力で、自分自身として生まれなおす瞬間でもあるのではないかと思う。
僕は、ことばを託すことは出来ないが、一瞬の「姿」を託すくらいのことは、してみたい。
そう思いながら踊ってきた。そのまま、ありのまま、淡々と、さらけ出すことが出来れば、いいなと思う。
明日の公演は、久々の完全即興でもある。さて・・・。
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