高村光太郎の最晩年の声を聴くことが出来た。
水曜日のオイリュトミークラスで、メンバーの一人が、見つけた、といって教室に持ってきてくれたのだ。
みんなで聴いた。

高村光太郎の詩は、前のタームで踊った。
その体験を思い返しながら、作家の生の声を聴くというのは、やはり格別だ。

自分の頭で考え自分の足で歩いてきた証左か、さすがにその声その言葉は、頑丈だった。
ふにゃふにゃと甘ったれた声に苛立つこと多いなか、こういう、芯のある声は、やはり良いエネルギーをくれる。
声の力は、それを発する人の生活そのものを反映しているように、思う。
高村光太郎の声は、とりわけ「お」の音声が、背筋に響く。
がっしりした母音のたくましくある、これぞ日本語のコトダマだなあ。

愛が肉体の底まで染み込んで、存在の元素となる・・・。
そう、有名な「元素智恵子」。
ご本人の生の声を通じて聴いた論には、とりわけ凄みを感じた。
からだの中に死者が住まうのは、私たち生きている人の常と思うけど、それを「元素」とハッキリ言うところが、やはり目覚めた意識の人だなと思う。
ほかに健康のこと、日常の生活で大切にしていたことなど。
いづれも、独立独歩の気風ありあり。
背を押された。