ダンスの練習ではよく使う3つの言葉。
感覚、感性、感情。
これらは、それぞれ密に繋がり促し合うけれど、なかでも最も大事にしたいのは感情だと思ってきた。
人と人その関係、驚きや刺激も欲しいが、根っこの処ではやはり、温かみや湿度をこそ、わかりあいたいから。
坂東玉三郎さんが人間国宝となったと聞くが、その見事な芸が伝えてくれる感動は、しっとりと温かな人間の「情」に他ならないと思う。
感情の波を分かち合える、泣き笑いを静かに噛みしめる、そんな空間が欲しくて、人は、あえて言葉を沈黙して身振りだけに想い託し「おどる」のではないかしらん、と、このごろしょっちゅう思うようになっている。
新潟公演のために創作中の「むすび」という作品作業はもとより、このごろ、ダンスクラスの稽古でもその事を改めて想い抱く日が多い。
即興のレッスン、振付によるレッスン、交互に行うクラスだが、いずれもカラダの動きが良くなってゆくプロセスには、感情の波が必ず伴っている。雑多な感情が漠然と散らばっていても仕方ないのだが、何か一瞬のキッカケで、集中力とリラックスのバランスがすっと現れたとき、感情の色彩がくっきりと発色する。いま振付している『春の祭典』なんか、そんな瞬間が垣間見えて、いつもジンとなる。踊りに集中するほどに、その人の存在感が華やぎ、はっとする。
月2回の舞踏クラスでも、そんな瞬間がある。こちらは、まさに自由な感情表現を主体とするクラスだが、じっくり呼吸や体重の移動に集中して、自分の身体に向き合い心の状態に寄り添うなかで、音楽から、あるいは声がけの言葉から、ある種の気持ちの切り替えが起きて、すっとカラダが動き始める瞬間があり、そこで急速に佇まいが軽く明るくなるのだ。エンジンが掛かったように感情とカラダがシンクロしてゆく。胸さわぐような踏みかたが出る。手が語り始める。
気持ちの整理がつくと、感情というやつは、流れ始めるんだと思う。
わっと、溢れる感情を受け止めて、そこで初めてカラダは感度や動きを解放するみたいなのだ。
感情のエネルギーは、人の鎧をはいでくれる。人の人ならではの姿を表に出してくれる。
そんな瞬間の訪れは、ちょっと神秘的でさえ、ある。
(治療関係の本をぱらぱらめくっていると、感情表現には体を温めるはたらきがある、と、書いてあった。感情を押し殺しているとカラダが冷えて固くなる。感情をふんだんに表現していると、血の巡りが良くなって冷えた身体を温め、柔らかになる。んだそうだ。なるほどねえ!?)
情を感じる力。
感覚に情を流す力。
感性に水分を注ぐ力。
心(りっしんべん)に 青(せい)。 青は清らかという意味だそうだが、求めるという意味をも含むという。
心の清らかさ。心の求め。
情の本意がそうであるならば、感情は、心の求めや心の清まりを感知する、自分自身の生命的な「はたらき」なのではないかと思う。
感情をあまり抑えつけちゃあカラダに悪い、というけれど、
泣きなさい、笑なさい、っていう唄があるけれども、
本当にその通り。
レッスンにくる皆さんも、どうか存分に、ココロおきなく・・・。
感覚、感性、感情。
これらは、それぞれ密に繋がり促し合うけれど、なかでも最も大事にしたいのは感情だと思ってきた。
人と人その関係、驚きや刺激も欲しいが、根っこの処ではやはり、温かみや湿度をこそ、わかりあいたいから。
坂東玉三郎さんが人間国宝となったと聞くが、その見事な芸が伝えてくれる感動は、しっとりと温かな人間の「情」に他ならないと思う。
感情の波を分かち合える、泣き笑いを静かに噛みしめる、そんな空間が欲しくて、人は、あえて言葉を沈黙して身振りだけに想い託し「おどる」のではないかしらん、と、このごろしょっちゅう思うようになっている。
新潟公演のために創作中の「むすび」という作品作業はもとより、このごろ、ダンスクラスの稽古でもその事を改めて想い抱く日が多い。
即興のレッスン、振付によるレッスン、交互に行うクラスだが、いずれもカラダの動きが良くなってゆくプロセスには、感情の波が必ず伴っている。雑多な感情が漠然と散らばっていても仕方ないのだが、何か一瞬のキッカケで、集中力とリラックスのバランスがすっと現れたとき、感情の色彩がくっきりと発色する。いま振付している『春の祭典』なんか、そんな瞬間が垣間見えて、いつもジンとなる。踊りに集中するほどに、その人の存在感が華やぎ、はっとする。
月2回の舞踏クラスでも、そんな瞬間がある。こちらは、まさに自由な感情表現を主体とするクラスだが、じっくり呼吸や体重の移動に集中して、自分の身体に向き合い心の状態に寄り添うなかで、音楽から、あるいは声がけの言葉から、ある種の気持ちの切り替えが起きて、すっとカラダが動き始める瞬間があり、そこで急速に佇まいが軽く明るくなるのだ。エンジンが掛かったように感情とカラダがシンクロしてゆく。胸さわぐような踏みかたが出る。手が語り始める。
気持ちの整理がつくと、感情というやつは、流れ始めるんだと思う。
わっと、溢れる感情を受け止めて、そこで初めてカラダは感度や動きを解放するみたいなのだ。
感情のエネルギーは、人の鎧をはいでくれる。人の人ならではの姿を表に出してくれる。
そんな瞬間の訪れは、ちょっと神秘的でさえ、ある。
(治療関係の本をぱらぱらめくっていると、感情表現には体を温めるはたらきがある、と、書いてあった。感情を押し殺しているとカラダが冷えて固くなる。感情をふんだんに表現していると、血の巡りが良くなって冷えた身体を温め、柔らかになる。んだそうだ。なるほどねえ!?)
情を感じる力。
感覚に情を流す力。
感性に水分を注ぐ力。
心(りっしんべん)に 青(せい)。 青は清らかという意味だそうだが、求めるという意味をも含むという。
心の清らかさ。心の求め。
情の本意がそうであるならば、感情は、心の求めや心の清まりを感知する、自分自身の生命的な「はたらき」なのではないかと思う。
感情をあまり抑えつけちゃあカラダに悪い、というけれど、
泣きなさい、笑なさい、っていう唄があるけれども、
本当にその通り。
レッスンにくる皆さんも、どうか存分に、ココロおきなく・・・。