きょう、僕ら日本人は原発なしの最初の一日を過ごした。
それぞれが、それぞれの一日を、いつも通りに眠り起き上がり一喜一憂して食べてまた眠りの床に身を横たえた。
この日を重く受け止めたい。

日本の原発がすべて停まった。
震災から一年後の子どもの日。
悲しみと苦しみを味わったなかで、原発なし、という日が42年ぶりに訪れた。こんな日が本当に来るとは。

もとより心は反核であるけれど、
事は人類的な範囲に広がり単純ではないと知る。いま、再稼働の問題も含め、原発に関するジレンマは大きい。原発なしでは経済の大きい苦況も予測されると聞けば、目先の苦しみを怖れて一抹の弱音もアタマをかすめる。
しかし、やはり最後は一人一人の意識に関わるのではないか。いったい何が幸せなのか。

長い歴史のなかで、原子力は人の手に無かった。禁断の力。そのことを思わずにいられない。

未来の子どもたちに対する責任を孕んだ経済やエネルギーの処し方を、生態系すべてに対する共存の仕方を、一人一人が考え尽くさずには済まされない文明の時代に僕らは生まれた。そして、理不尽な専制君主のもとではなく、民主主義の政治経済のなかで、原発は稼働してきた。そのことを、思わずにいられない。

原発は、僕らの文化文明の象徴だと思う。現代の善悪の彼岸、生き物としてのモラルを、原発を通じて考えざるを得ない。

僕らの暮らしについて、幸福の求めかたについて、いま、一から考えなおす、またとない機会だと思う。2012年5月5日。僕らの再生の思想の始まりの日だと思う。