今回上演する新作の構想が始まったのは2011年4月。
僕は内面的なダメージを受けていることを自覚し始めていた。
しかし、一年で最も美しい季節の到来が、これほど肌身にしみたことはなかった。
痛みの声をのせて吹く風に舞う、桜の花は、かつてない輝きを放っていた。
いままで以上にはかなく眼に映りながら、しかし、いままでよりも生命を感じさせてくれた。
つらなり、うけつがれ、という連綿たる生命の炎。
その果てしない時の流れを、
遠い過去の人々が、花のすがたを通じて、今を生きる僕たちに、語りかけている、ように感じた。
樹木の内に保たれているイノチの光が、ひととき結晶して花となる。
踊りは花になることなのではないか、
そう強く思うようになっていた。
無心になりたい、無垢になりたい、真っ白になりたい。
そんな思いで踊ってきたけれど、
内側から、からだの奥から、
自然のうちに滲み出てくる色彩を受け止め、思いを注ぎこんで、
鮮やかに咲かせてこそ、
踊りが踊りならではの時空を開いてゆくんじゃないかな。
そんなふうに思うようになっていた。
「うぐいすの初音したたるこの星に 許されて在りこの春もまた」
生命学者・柳澤桂子さんの短歌だ。
この歌に、心情がぴたりと重なった。
この歌は、今回の作品を育ててゆく中で、いつも僕を励ましてくれた。
前回公演の稽古を進めながら、
まだ題名も何もない、しかし突き上げてくるような新しい動きを僕は繰り返し動いて受けとめようとしていた。
その動きを、きちんと受けとめてカラダに染み込ませてゆきたかった。
何か外側から、ひろい世界から近づいてくる気配や息吹を、身体が動きによって僕の心に教えようとしているような、すこし不思議な感覚だった。
息をしているんだよ、血が流れているんだよ、
と、肉体自身が生命の声をささやいているのかもしれない、あの桜の花や草草の新芽のように。
その声に、心の耳をすましておかねば。
そんな感覚もあった。
そんなことは初めてだった。
いままで踊ってきた衝動とはちがう、まったく取り組んだことのないタイプの新作が出てくるかもしれない、と思った。
女の人が赤ちゃんを胎内に育てるのは、もしかしたら、こんな感覚に近いのかしら、とも思った。
夏の公演を迎えた。
舞台にはたくさんの蝋燭が灯された。鎮魂のともしび。
静かにゆらぎ消えてゆく炎。切々たるメロディ。
そのなかで踊りながら、明らかに今までとは違う何かを得た。
終演後の楽屋で、音楽の田ノ岡三郎さんと2人、眠るように身を投げた。
わずかな時間、とても深い静けさが訪れた。
人が一つの場所に集うことの意味が、ダンスや音楽の大切さが、身にしみこんでいった。
その体験が、今回上演する新作に、息を吹き込んでくれた。
踊ることには、きっと、まだ僕自身知らない意味があるんじゃないかな。
放射能にまつわる苦しみに直面するただなか、原爆忌が近づいていた。
この土地で僕ら日本人が背負うことになった十字架がある。
そこには、未来に向けて何かしらの大切な意味があるのかもしれない。
生あることについて、未来つむぐことについて、
きっちりと向き合わざるを得ない日々が、確かに始まっている。
そんな実感があった。
今回の新作が、ゆっくりと発展し始めた。
動きから音がきこえてくるようになり、空間が見えるようになっていった。
もういちど、大地を踏みなおそう。
もういちど、風と光をあびてゆこう。
足が動き始めた。アトリエから出た。
街をあるき、山川へ。
さまざまな声や音に聞き耳を立て、踊りをあたためる。
スケッチをしながら、マイクで採集をはじめた。
採集した音を分解して、楽器でとらえなおして、また録音して、その音に寄り添いながら踊って、振付をおこして・・・。
今回は音も光も自分で探してゆく作業になっていった。
閉じていた耳があるかもしれない。閉じていた眼があるかもしれない。
心の中を覗き込むようにしていた作業から、もういちど外に向けて自分を開いていく作業へと、
変わっていく、そんな再出発の作品にしたい。そう思いながら、急速に、作品は動き出した。
「うぐいすの初音したたるこの星に 許されて在り・・・」
「この星に 許されて在り・・・」
季節めぐる中で、あの言葉が、凛々と響き続けていた。
(つづく)
______________________________________________________
《予約受付中》
作品サイト↓
★3/30上演《櫻井郁也ダンスソロ『かつてなき、結晶~三月の沈黙へ』》
※公演まぎわです。ぜひ、お立ち会いください!(⇧click 詳細&予約フォーム)
僕は内面的なダメージを受けていることを自覚し始めていた。
しかし、一年で最も美しい季節の到来が、これほど肌身にしみたことはなかった。
痛みの声をのせて吹く風に舞う、桜の花は、かつてない輝きを放っていた。
いままで以上にはかなく眼に映りながら、しかし、いままでよりも生命を感じさせてくれた。
つらなり、うけつがれ、という連綿たる生命の炎。
その果てしない時の流れを、
遠い過去の人々が、花のすがたを通じて、今を生きる僕たちに、語りかけている、ように感じた。
樹木の内に保たれているイノチの光が、ひととき結晶して花となる。
踊りは花になることなのではないか、
そう強く思うようになっていた。
無心になりたい、無垢になりたい、真っ白になりたい。
そんな思いで踊ってきたけれど、
内側から、からだの奥から、
自然のうちに滲み出てくる色彩を受け止め、思いを注ぎこんで、
鮮やかに咲かせてこそ、
踊りが踊りならではの時空を開いてゆくんじゃないかな。
そんなふうに思うようになっていた。
「うぐいすの初音したたるこの星に 許されて在りこの春もまた」
生命学者・柳澤桂子さんの短歌だ。
この歌に、心情がぴたりと重なった。
この歌は、今回の作品を育ててゆく中で、いつも僕を励ましてくれた。
前回公演の稽古を進めながら、
まだ題名も何もない、しかし突き上げてくるような新しい動きを僕は繰り返し動いて受けとめようとしていた。
その動きを、きちんと受けとめてカラダに染み込ませてゆきたかった。
何か外側から、ひろい世界から近づいてくる気配や息吹を、身体が動きによって僕の心に教えようとしているような、すこし不思議な感覚だった。
息をしているんだよ、血が流れているんだよ、
と、肉体自身が生命の声をささやいているのかもしれない、あの桜の花や草草の新芽のように。
その声に、心の耳をすましておかねば。
そんな感覚もあった。
そんなことは初めてだった。
いままで踊ってきた衝動とはちがう、まったく取り組んだことのないタイプの新作が出てくるかもしれない、と思った。
女の人が赤ちゃんを胎内に育てるのは、もしかしたら、こんな感覚に近いのかしら、とも思った。
夏の公演を迎えた。
舞台にはたくさんの蝋燭が灯された。鎮魂のともしび。
静かにゆらぎ消えてゆく炎。切々たるメロディ。
そのなかで踊りながら、明らかに今までとは違う何かを得た。
終演後の楽屋で、音楽の田ノ岡三郎さんと2人、眠るように身を投げた。
わずかな時間、とても深い静けさが訪れた。
人が一つの場所に集うことの意味が、ダンスや音楽の大切さが、身にしみこんでいった。
その体験が、今回上演する新作に、息を吹き込んでくれた。
踊ることには、きっと、まだ僕自身知らない意味があるんじゃないかな。
放射能にまつわる苦しみに直面するただなか、原爆忌が近づいていた。
この土地で僕ら日本人が背負うことになった十字架がある。
そこには、未来に向けて何かしらの大切な意味があるのかもしれない。
生あることについて、未来つむぐことについて、
きっちりと向き合わざるを得ない日々が、確かに始まっている。
そんな実感があった。
今回の新作が、ゆっくりと発展し始めた。
動きから音がきこえてくるようになり、空間が見えるようになっていった。
もういちど、大地を踏みなおそう。
もういちど、風と光をあびてゆこう。
足が動き始めた。アトリエから出た。
街をあるき、山川へ。
さまざまな声や音に聞き耳を立て、踊りをあたためる。
スケッチをしながら、マイクで採集をはじめた。
採集した音を分解して、楽器でとらえなおして、また録音して、その音に寄り添いながら踊って、振付をおこして・・・。
今回は音も光も自分で探してゆく作業になっていった。
閉じていた耳があるかもしれない。閉じていた眼があるかもしれない。
心の中を覗き込むようにしていた作業から、もういちど外に向けて自分を開いていく作業へと、
変わっていく、そんな再出発の作品にしたい。そう思いながら、急速に、作品は動き出した。
「うぐいすの初音したたるこの星に 許されて在り・・・」
「この星に 許されて在り・・・」
季節めぐる中で、あの言葉が、凛々と響き続けていた。
(つづく)
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《予約受付中》
作品サイト↓
★3/30上演《櫻井郁也ダンスソロ『かつてなき、結晶~三月の沈黙へ』》
※公演まぎわです。ぜひ、お立ち会いください!(⇧click 詳細&予約フォーム)