ソロ公演まで2週間を切った。
今回は新作だ。張りつめている。

この作品で僕は、久々とも言えるほどに産みの苦しみを感じている。
しかし、ここにきて、ついに着地すべき舞台が見えてきたように思う。
今回の作品で、踊るということへの、気持ちが変化している実感がある。
新しい時が、始まるんだと思う。

だいたい舞台直前の時期には、ここに作業の経過を紹介している。さて。

踊りこむほどに言葉がどんどん出てくる時と、むしろ言葉が消えて静かになってゆく時がある。
今回はあきらかに後者だ。

祓われて浄化されてゆくのか、それとも、降り積もる思いがギッシリとなるあまり黙するしかなくなるのか。
いま、ただただ身体は張りつめて、動き、を渇仰している。

今回、稽古では止まることが無い。数時間、動き続ける。動けなくなるまで動く、そんなことが多い。
純粋運動というのだろうか。ひたすら動くこと(息や血の流れや熱や・・・)に身を投げ出してゆく作業になっている。
久々だ。そうさせる何者かが、この作品には棲んでいるのかもしれない。

「かつてなき、結晶~三月の沈黙へ」

作品の種は、あの震災のあと、春の訪れのなかで宿った。

夏に向けて「TABULA RASA」のリプロダクションを手がけている最中だった。TABULA RASAは、ダンスとアコーディオンが対話するように時を紡いでゆく作品だ。力強く、それでいて、優しいものを。震災直後の街のなかで、いま直ぐに、と取組んだ。
連日リハーサルの道すがら、寒さは和らいで、陽光を肌が捉えた。
ゆるんでゆく大地から、新芽が顔を出した。
じっと見つめた。
可愛い。
心の底から思った。
いままで、これほど草木のひとつひとつに愛おしさを感じたことはなかった。
しかし、放射能の事から、恐怖がひたひたと溜まっていた。
同時に、言いようのない罪悪感をどこかで感じていた。恥をも感じた。

2011年の春は、水を飲むにも窓を開けて空気を吸うことにさえもびくびくするような日々の始まりでもあった。何十年、いや場合によっては何世代にもわたる時を、僕らは暗くしてしまったのだと知った。
しかし、それでも草木から新芽が顔を出し、花のつぼみがふくらんでゆく。
生きているものを見て、涙がにじむようになった。
体験したことのない事態のなかで、体験したことのない感情の波が、体内にうねるのを感じた。
いつしか作業がはじまっていた。
小さく短い、しかし痛みが暴発したような動きが出た。
「立たねば、立たねば、まず立たねば、この足でちゃんと立たねば」
そんなメモが、振付けノートに、走り書いてある。

この作品の最初の作業は、自分自身の生をとらえ直すことから始まった。
哲学的なことではない。
現実の一日を過ごしてゆくなかで、生命というものを考えずにはいられない。
そうせざるをえない時が、始まっていたんだと思う。

あの3月の、大地や水の怒りが、魂に深く及んでいた。
一年で最も美しい季節の到来とともに、
僕は内面的に強いダメージを受けていることに、気付き始めていた。
複雑で深刻な状況の中で湧きあがる感情の波。それは、
たったいま生きていることを見つめ確かめようとする、
生き物としての感覚なのかもしれないと思った。
暗い大地の底から、光をさがしながら芽吹いてゆく草木のように、
ひとつのダンスを育ててゆこうと、心を定めた。

4月、東京電力は、ついに海に汚染水を流した。

桜の花がまぶしかった。
その花びらを乗せてさまよう風は、痛みと悲しみの音をたてていた。

(つづく)
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★3/30上演《櫻井郁也ダンスソロ『かつてなき、結晶~三月の沈黙へ』》
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