オイリュトミーの短期ワークショップを行なうことにした。久々のことなので、思いが広がっている。創案から、ちょうど100年目になるオイリュトミー。それ、どこかで聞いたことがあるよ、という方も増えた。
EU-RYTHMIE(英語表記だとEurythmy)、よい・リズム。っていう意味である。
どんどん気軽に、動いて楽しんでみてほしいと思う。開放的な動きが、カラダの重さや無駄な力みを抜いてくれる。舞い楽しみつつ、これを考え出したルドルフ・シュタイナーのことも柔らかい言葉で紹介し直そうと思っている。
来週の末、2月25日から土日の時間です、ぜひ!
短期集中レッスン「オイリュトミー編」
ところで、
きのう水曜はオイリュトミー定期クラスの日だったのだけど、オイリュトミーの練習風景を・・・。
レッスンは基本の練習に始まる。まっすぐ立つこと。落ち着いた呼吸を行なうこと。重心をしっかり感じて確かな足取りで歩くこと。それでいて、自分のことだけに夢中にならず、言葉や音楽や周囲の動きや気配を落ち着いて受け入れてゆく余裕をもつこと。オイリュトミーの基本練習はテクニックではなくて心と体のバランスを整えることに目的がある。日常の雑事を忘れて、純粋な気持ちになってゆく練習である。
そのあと、感受性をひろげてゆく。動きながら、その日その日に用意する言葉や音楽に反応してゆく。ときおり動きを止めて、からだのことや生活まわりのことを話す。ほぐす、あそぶ、ふりかえる。いま出会ったばかりの言葉に戯れる。動きながら言葉を感じることに慣れてゆくことで、言葉そのものの感じ方が変化してゆく。言葉は何よりもサウンドだ。それは内側からの風ともいえる。
じっとして何かを考えるのとは明らかに違う。感情のはたらきも大きくなる。
『魂のこよみ:Seelenkalender』という文集がある。きょうは、その一節を読む声をききながら、空間を駆けた。
『魂のこよみ』は、一週間に一節、一年間の周期を歌い上げる壮大な詩編だ。食卓に季節の花を置くように、心のなかに季節の言葉を置く。この言葉を編んだのは、ルドルフシュタイナー。そう、オイリュトミーの創案者だ。もっとも重要な著作の一つと言える。毎週毎週つづられてゆく、この言葉の流動をそっと声に出して読んだり動いたりして味わう。日月星辰の運行と地上の森羅万象が呼び交しながら、季節はめぐり、寒暖や色彩や湿度たちがダイナミックな生命波を踊っていて、その波の一端を、僕ら人間も担っている。何気なく感じている喜びや怒りや哀しみさえ、実はこの宇宙リズムとどこかでかすかに関係しているのではないか。そんな気持ちを、この『魂のこよみ』の言葉たちは、呼び起こしてくれる。言葉のひとつひとつ、馴染めば馴染むほど味わいがあり、精神の柱になるような手応えが、でてくる。
言葉には力がある。火や土や風や水のように、心のエネルギーがサウンドに変化していったのが言葉だ。その勢いやリズムを感じながら地を踏み気を舞い、言葉に内包された魂のエネルギーを自分の身体に吸い込んでゆく。それがオイリュトミーだ。踊りであり、同時に、呼吸であり、同時に、精神の食事とも言える。オイリュトミーの稽古中、人の眼が明るさを帯びてゆくのを、僕はしばしば感じる。
レッスン後半は、だいたい作品を踊る。きのうは冬シーズンの作品「高村光太郎/火星が」の振付をすこし。たぶん来週は音楽の作品を少しやる。作品はまず大胆でありたい、そして心を込めたい。ほんの少し背伸びするのも良いし、夢を追うように踊るのも良い。ともかく、いまこの一瞬を大事にしてエネルギーを注いでゆく。
全身で大きな円環を力強く描くように動いた。弓のような軌跡をやわらかく手から放った。どっしりと重心を落として真っすぐに歩行した。ひとりひとりの顔が、生きてくるのが、わかった。
この作品のこと、振付けのこと、くわしくは次の機会に・・・。
【定期クラス・2012年度募集START】
【新作ソロ・3/30公演】
EU-RYTHMIE(英語表記だとEurythmy)、よい・リズム。っていう意味である。
どんどん気軽に、動いて楽しんでみてほしいと思う。開放的な動きが、カラダの重さや無駄な力みを抜いてくれる。舞い楽しみつつ、これを考え出したルドルフ・シュタイナーのことも柔らかい言葉で紹介し直そうと思っている。
来週の末、2月25日から土日の時間です、ぜひ!
短期集中レッスン「オイリュトミー編」
ところで、
きのう水曜はオイリュトミー定期クラスの日だったのだけど、オイリュトミーの練習風景を・・・。
レッスンは基本の練習に始まる。まっすぐ立つこと。落ち着いた呼吸を行なうこと。重心をしっかり感じて確かな足取りで歩くこと。それでいて、自分のことだけに夢中にならず、言葉や音楽や周囲の動きや気配を落ち着いて受け入れてゆく余裕をもつこと。オイリュトミーの基本練習はテクニックではなくて心と体のバランスを整えることに目的がある。日常の雑事を忘れて、純粋な気持ちになってゆく練習である。
そのあと、感受性をひろげてゆく。動きながら、その日その日に用意する言葉や音楽に反応してゆく。ときおり動きを止めて、からだのことや生活まわりのことを話す。ほぐす、あそぶ、ふりかえる。いま出会ったばかりの言葉に戯れる。動きながら言葉を感じることに慣れてゆくことで、言葉そのものの感じ方が変化してゆく。言葉は何よりもサウンドだ。それは内側からの風ともいえる。
じっとして何かを考えるのとは明らかに違う。感情のはたらきも大きくなる。
『魂のこよみ:Seelenkalender』という文集がある。きょうは、その一節を読む声をききながら、空間を駆けた。
『魂のこよみ』は、一週間に一節、一年間の周期を歌い上げる壮大な詩編だ。食卓に季節の花を置くように、心のなかに季節の言葉を置く。この言葉を編んだのは、ルドルフシュタイナー。そう、オイリュトミーの創案者だ。もっとも重要な著作の一つと言える。毎週毎週つづられてゆく、この言葉の流動をそっと声に出して読んだり動いたりして味わう。日月星辰の運行と地上の森羅万象が呼び交しながら、季節はめぐり、寒暖や色彩や湿度たちがダイナミックな生命波を踊っていて、その波の一端を、僕ら人間も担っている。何気なく感じている喜びや怒りや哀しみさえ、実はこの宇宙リズムとどこかでかすかに関係しているのではないか。そんな気持ちを、この『魂のこよみ』の言葉たちは、呼び起こしてくれる。言葉のひとつひとつ、馴染めば馴染むほど味わいがあり、精神の柱になるような手応えが、でてくる。
言葉には力がある。火や土や風や水のように、心のエネルギーがサウンドに変化していったのが言葉だ。その勢いやリズムを感じながら地を踏み気を舞い、言葉に内包された魂のエネルギーを自分の身体に吸い込んでゆく。それがオイリュトミーだ。踊りであり、同時に、呼吸であり、同時に、精神の食事とも言える。オイリュトミーの稽古中、人の眼が明るさを帯びてゆくのを、僕はしばしば感じる。
レッスン後半は、だいたい作品を踊る。きのうは冬シーズンの作品「高村光太郎/火星が」の振付をすこし。たぶん来週は音楽の作品を少しやる。作品はまず大胆でありたい、そして心を込めたい。ほんの少し背伸びするのも良いし、夢を追うように踊るのも良い。ともかく、いまこの一瞬を大事にしてエネルギーを注いでゆく。
全身で大きな円環を力強く描くように動いた。弓のような軌跡をやわらかく手から放った。どっしりと重心を落として真っすぐに歩行した。ひとりひとりの顔が、生きてくるのが、わかった。
この作品のこと、振付けのこと、くわしくは次の機会に・・・。
【定期クラス・2012年度募集START】
【新作ソロ・3/30公演】